寄稿

林 恭造先生を偲ぶ

大西 寛文

 
 林 恭造先生が、平成24年1月31日にご逝去されたことを近畿会の弔事報告で知ることとなった時、驚くと同時に全く信じられませんでした。先生が亡くなられる10日前の1月21日、中日本五会研究大会の昼食会場でお会いし「お互いに元気でなによりですね。」といろいろとお話をさせていただいたばかりでしたし、先生のご年齢から考えて今でも信じられない思いです。
 林先生とお付き合いさせていただいたのは、私が近畿会の会務に携わることになった平成7年頃からでした。林先生が近畿会会長に就任し、会務に専念されていたころのことが特に印象に残っています。
 平成10年9月、「公認会計士制度50周年記念事業」の記念式典をはじめとする記念行事の企画、実行がありました。当時は、「あなたは、公認会計士を信じますか」という社会から厳しい批判のあった時代でしたので、記念式典のなかで「社会の信頼のために懸命に努力する」という異例の決意表明を行なっています。林先生のソフトムードでありながらフレームワークのしっかりしたリーダシップによってこの50周年記念事業がすべて成功裏に実施できたものと思います。このことによって私達後輩にいろいろな意味で自信を与えていただいたことを今でも感謝しております。
 先生が公認会計士業界に入られたのは、昭和39年の東京オリンピックと昭和40年不況の後、昭和41年監査基準、公認会計士法の改正と日本公認会計士協会の特殊法人化、監査法人第1号が誕生する、まさに昭和41年でした。日本経済の成長期、進展期、変革期といろいろと難しい時代もありましたが、そのいずれの時におきましても企業の成長発展と公認会計士制度の発展にご貢献いただき、その都度重要なお働きをしていただきました。
 先生は平成14年秋の褒章に際し黄綬褒章を受章されています。長年にわたっての公認会計士協会を通じて公認会計士制度発展のためのご尽力と関係諸団体等の要職にて活躍されたご功績が評価されたことによるものでその栄誉が讃えられています。
 先生が関西学院大学で長年にわたり講師をされているころ、私は仕事で関西学院大学から仁川への帰り道で、先生とお嬢さまが楽しそうに語らいながら歩いてこられた時にばったりお会いしました。先生のとても若々しく輝いておられた様子が今でも記憶に残っています。ダンディで長身でしたので林先生の大先輩である故伊藤晋三郎先生(海軍出身)がよく言っておられた「スマートで目先がきいて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」にぴったり当てはまる先生であったと思います。
 先日、公認会計士協会本部より連絡があり不服審査会の委員を、林先生から引き継がせていただくことになり東京の協会本部で資料等を拝見しました。ご逝去される直前まで様々な公職に関係されていたことを知らされて本当に頭の下がる思いでした。
 先生の黄綬褒章受章祝賀会で、「この褒章によってこれからもますます社会のために貢献していくというご功績の上に更に奥様孝行というご功績を積み上げてください。」とのお話があったかと思います。このことについても、林先生は、すでに十分達成されたものと確信しております。
 林恭造先生のこれまでのご尽力と私達後輩にいただいた深い愛情に感謝し心よりご冥福をお祈りいたします。
 林先生ありがとうございました。

合掌