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「監査事務所のローテーション」は監査を救えるか |
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澤田 眞史 |
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1. はじめに−議論の背景 | |
![]() 現在、監査人の独立性に関して、米国及び欧州で同時並行的に、その規制強化策が検討されており、とりわけ「監査事務所の強制ローテーション」が議論の俎上に上っている。米国公開企業会計監視委員会(PCAOB)は2011年8月16日付で、「監査人の独立性及び監査事務所のローテーションに関するコンセプト・リリース」(1)(以下「コンセプト・リリース」という。)を公表し、「監査事務所の強制ローテーション」を中心的な課題として意見募集を行った。一方、欧州委員会は2010年10月13日にグリーン・ペーパー「監査に関する施策:金融危機からの教訓」(2)(以下「グリーン・ペーパー」という。)を公表し、2011年11月30日に公益事業体(上場企業、銀行、保険等)の監査に「監査事務所の強制ローテーション」を導入するという規則案を提案している。このような背景には、2008年秋に米国の大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界的な金融危機を招いた事実があり、今また欧州債務危機の深刻化でフランス・ベルギー系大手銀行デクシアが経営に行き詰まり、公的支援を含めた救済策が検討されるという深刻な状況がある。そこには、企業が経営破綻に至る過程において、財政状態が危険な状況になりつつあるにもかかわらず、監査証明が適切な警告を発することなく、結果として、財務情報の利用者にあたかも健全であるかのような印象を与えてきたことに対する不満が充満している。 監査人は、企業経営者、証券アナリスト、証券取引所及び金融規制当局とともに資本市場の代表的なプレーヤーであり、資本市場の信頼性確保について会計プロフェッションとしての責任を有している。ただ、監査は個々の企業を対象に実施されるものであり、資本市場全般に広がる金融危機の原因となるリスクの発生に主たる責任を負えるものではない。しかし、個別の監査に限定しても、必ずしも現状の監査の実態は他の資本市場関係者から全幅の信頼感を獲得しているとはいえないのではないか。そして、監査人側が会計・監査の不祥事が直接金融危機を招来する主たる原因ではないと主張しても何か言い逃れのように受け取られる可能性が強い。PCAOBや欧州委員会は監査を金融システム安定化の重要な一要素と考えていることは明らかである。一般的に、特定の制度的規制の枠組みが社会的に機能せず、有効でない実績が積み上がれば、そのような制度設計は廃止も含めて、根底から見直されるのがごく自然な動向である。しかし、こと監査制度に関しては、そのような主張が出てくることはなく、「より厳しい監査を」という声が大きくなっていく。それは、企業の公表財務情報が独立した第三者により保証される必要性が社会的な合意となっているからであろう。 |
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2. 「監査人の独立性」に関する米欧の動向 | |
先に述べたように、従来から会計・監査不祥事が発覚すると必ず監査人の独立性が問題視され、議論の的に取り上げられてきた。そこでは、監査事務所は営利目的の事業体であり、監査業務の提供先であるクライアントから報酬を受けるシステムが独立性の決定的な阻害要因ではないかと考えられてきたからであろう。 | |
(1) 米国PCAOBの動向 PCAOBのコンセプト・リリースでは、「独立性とは、監査人とクライアントの関係と、監査人が業務を行う上で有すべき態度の双方のこと」であると述べている。そして、そこでの最も重要な要求事項は「業務に関するすべての事項に関する精神的独立性の保持」であり、このような態度の測定尺度となるのが、「職業的専門家としての懐疑心」を行使する監査人の能力であると述べている。 ところで、PCAOBは2002年のSOX法(サーベンス・オクスレー法)施行以降これまで、大規模監査事務所に対する厳格な検査及びその結果を受けた是正措置のプロセスを通じて、監査の品質は改善されつつあると認識しているという。しかし同時に、PCAOBの検査を通じ、求められる職業的専門家としての懐疑心及び客観性の欠如が原因と考えられる監査の不備も頻繁に発見されていると指摘し、ここでは監査人が投資家の利益よりも、クライアントの経営者の利益を優先しているのではないかという懸念を払拭できないとも述べている。さらに、善意の監査人であったとしても、無意識のうちに自らが偏向していることを自覚することは困難であり、それを予防することができない場合もあるのではないかとも述べている。PCAOBは、検査により発見された監査上の不備は、必ずしも職業的専門家としての懐疑心及び客観性の欠如から生じたものとは限定できないし、さらに、PCAOBの検査はリスクの高いと考えられる監査の最も複雑かつ困難な領域を検査対象に選択して実施しているため、その検査結果をもって、監査人の在任期間と監査の品質の関係について適切に判断できる状況にないとも述べている。 その上でPCAOBは、既存の権限の下で監査人の独立性、客観性及び職業的専門家としての懐疑心を強化するための措置を優先して検討しているが、さらに、独立性の強化に関して広範な議論を行うため、実施できるさまざまなアプローチについてコメントを募集するという。ただ、今回のコンセプト・リリースは、監査上の不備の潜在的な要因として職業的専門家としての懐疑心及び客観性の欠如が無視できないこと、そして、これらの潜在的要因への対処方法として「監査事務所の強制的ローテーション」を有力な選択肢と考えていることは明らかである。 従来から、監査人の独立性に関して、さまざまな調査報告(3)が提出されているが、本コンセプト・リリースは2002年のSOX法導入に伴い、米国連邦議会が米国会計検査院(GAO)に要請し、2003年に公表された「登録公開会計事務所の強制ローテーションの潜在的影響に関する両委員会の要請に基づく調査」報告(GAOレポート)がその前提にあると考えられる。同レポートでは、「監査事務所の強制ローテーションが監査人の独立性と監査の品質を向上させるための最も有効な方法ではないかもしれない。」と一旦は結論付けている。しかし、そこでは「SEC及びPCAOBが、さらなる公益の保護及び投資家の信頼回復のため、監査事務所の強制ローテーションを含めた追加的な強化又は改訂が必要かどうかを適切に判断するためには、少なくとも数年の実績を積む必要があるであろう。」と述べている。本コンセプト・リリースはその実績を踏まえた上で一つの方向性を探ろうとするものであり、従前の議論から一歩踏み出した強いメッセージが込められていると考えられる。 |
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(2) 欧州委員会の動向 次に、欧州委員会の2010年10月13日公表のグリーン・ペーパーにおける「監査事務所の強制ローテーション」に関する問いかけを概観してみる。そこでは、まず(イ)企業が同じ監査事務所を何十年も監査人として指名しているのは、独立性に関して望ましくなく、「監査事務所の強制ローテーション」の義務付けを検討すべきこと。そして(ロ)欧州委員会は企業自身でない第三者(おそらく規制当局)が監査人の選任、監査報酬及び監査契約の継続に対する責任を有することにより、監査人の機能を法定検査の一つとして位置づけることが可能かどうかを検討すること。さらに(ハ)監査人の独立性との関係で監査事務所による非監査サービスの提供禁止を強化することによって、法定の検査部門に通じる「純粋な監査事務所」を作る可能性などについて言及している。 この公開草案の結果を受けて、この2011年11月30日に欧州委員会は、欧州議会及び欧州閣僚理事会の「年次及び連結財務諸表の法定監査に関する指令2006/43/ECの改正案」と「社会的影響度の高い事業体の法定監査に対する要求事項に関する規則案」を公表した。後者の規則案は、公益事業体(上場企業、銀行、保険等)を適用対象とし、監査継続期間を6年、クーリング・オフ4年の「監査事務所の強制ローテーション」を明示し、監査人交替時には入札を義務付けることを提案している。ここでは、監査人の独立性は企業と監査事務所の自由契約では確保することが困難であり、財務諸表監査を従来からの自由経済社会の自治的なインフラとしての制度設計では不十分として、監査事務所を公的な監視の下に置くべきではないか(監査公営論)という強いメッセージが読み取れる。 また、この規則案では、監査人に実施した監査のより詳細な情報を記載した追加的な報告書の監査委員会への提供、監査報告書の内容の拡充による利害関係者へのより多くの情報の提供、上場企業に対する高品質の監査実施能力を有する監査事務所を認定する欧州認証制度の設定とそれに伴う監査事務所の組織・ガバナンスに関する追加的要求事項などが提案されている。 |
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(3) PCAOB及び欧州委員会の共通した発想のバックボーン 経済社会には、企業の公表財務情報が独立した第三者により保証される必要があるという合意があり、それが公認会計士監査として発展してきた。PCAOBや欧州委員会も監査が金融システム安定化の重要な一要素と考えていることは明らかである。しかし、現行の企業と監査人の自由な意思による監査契約の下で監査人の独立性が十分に確保できるかについては、疑問を呈している。この疑問は、PCAOBのコンセプト・リリースにおける、「監査事務所が、新規の監査業務により長期にわたって報酬を受け取る可能性を絶つことにより、監査事務所とクライアントとの関係が根本的に変革され、結果として、独立した門番としての監査人の能力が大幅に強化される可能性がある。」という記述に表れている。 資本市場には、企業経営者、監査人、証券アナリスト、証券取引所及び金融規制当局という代表的なプレーヤーがおり、それぞれに求められる役割がある。しかし、こと企業が公表する財務情報の信頼性確保に関する限り、最後の砦として監査人が全面的に責任を負うことが当然視されており、究極的に監査人の独立性確保にフォーカスされている。そして、PCAOBも欧州委員会も、監査人の独立性確保については、現行の企業と監査人の自由な意思による監査契約では問題解決が困難であり、金融規制当局がいかに監査契約の締結に関わるべきかという方向に流れているようである。このような潮流は、米国におけるエンロン、ワールドコムの会計不祥事以降顕著になったものだろう。しかし、この方向性は自由経済社会におけるこれまで積み上げてきた会計プロフェッションによる財務諸表監査とは異質な監査、つまり準官制監査を志向しているのではないかとの不安を覚える。 そこで、以下では日常監査に従事する者として、上記PCAOB及び欧州委員会の「監査人の独立性」特に「監査事務所の強制ローテーション」への問いかけを真正面から受け止め、改めて「監査の本質・機能と限界」について考えてみたい。 |
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3. 監査の本質を問い直す | |
(1) 監査公営論への傾斜 監査人に何を期待するのかという問いかけについては、社会的経済環境の変化に伴って、柔軟に考え対応すべきものと考えるが、上記2.の方向性を見る限り、監査人に資本市場の警察官あるいは検察官の役割を期待していると受け取れる。もし、このような判断にしたがうのであれば、監査人は不心得な企業経営者を強力な権限をもって摘発し、資本市場から退場させることが主たる役割となる。この方向性を追求することは、監査制度の性格を国家、すなわち行政機関が法的権限を持って実施する検査制度(監査公営論)にとって変わられることを意味する。このような公表財務諸表の信頼性確保の枠組みは、会計プロフェッションによる監査制度ではなく、行政職である検査員による執行行為に近いものとなる。その結果、責任関係が不明確で硬直的な制度運営となり、機動性の欠けた重たい不効率な制度となることが予想される。 監査人の独立性の強化が議論されるときには、必ず「監査事務所の強制ローテーション」と「監査報酬のプール制」が議論の俎上に上がる。これらの方法論の共通点は、監査人の選任や監査報酬の配分について自由契約は認めないということである。すると、このとき誰が新任の監査人を指名し、また、監査報酬の配分を決定するのかということが問題となるが、必然的に公的な組織・機関が関与してくることになる。このことは、上記2(2)の「企業自身でない第三者(おそらく規制当局)が監査人の選任、監査報酬及び監査契約の継続に対する責任を有することにより、監査人の機能を法定検査の一つとして位置づけることが可能かどうか。」という欧州委員会の問いかけに表れている。 そして、このときの監査人は実質的に行政職に位置付けられ、公表される企業の財務情報の適正性を確保する過程において、金融規制当局の政策目的に従った行動を取ることが求められるのではないか。その結果、この場合の監査人の意見は金融規制当局の政策目的というフィールターを通したものとなり、自由な監査契約に基づく監査意見とは異質なものにならざるを得ない。 |
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(2) 監査の本質的な機能 いま原稿を書きながら、昨年お亡くなりになった植田肇先生の実務補習所での次のような趣旨の講義を思い出している。「もともと公認会計士の監査制度は、会社の不正を暴くためのものではない。会社に正しい決算をさせるのが本旨であり、それができなかったとき、やむを得ず事実を指摘するにすぎない。それには絶えざる助言、勧告もなされており、報酬を受けるのは当然である。」と説かれ、そして個々の公認会計士と会社の自由契約制度が一番良いと主張されていた(4)。私自身この主張を自然に受け入れて、自由経済社会の自治的なインフラとしての財務諸表監査制度における監査人は、資本市場に不適切な企業財務情報が公表されることを未然に防ぎ、資本市場の信頼性確保のために寄与するいわば資本市場における公正でスムーズな投資活動を支えるレフリーの役割を果たすべきものだと考えてきた。 会計プロフェッションたる監査人は、このような社会的使命を自負することにより、日頃から専門的知識の継続的な更新に努め、実務経験を積み重ねるとともに自らの倫理感覚を磨き自己責任に基づく行動に備えるのである。そして、監査上困難な状況に直面しても、監査人は、企業経営者と徹底的に向き合い適正な財務情報が公表されるよう最善の努力を尽すのである。しかし、不幸にも、企業経営者が監査人との信頼関係を無視し、不適正な財務情報を公表するという反社会的な行動に出た場合には、全力を持って阻止しなければならない。そのために、不適正意見があり、それは、あたかも師弟関係や友人関係からの破門状か絶縁状に相当するものである。 以上から、上記2の方向性、つまり監査公営論への傾斜は、監査人たる会計プロフェッションとしての社会的使命に対する自負を無視するもので、誇り高く責任感の強い監査人の育成を阻害するものと言わざるを得ない。すなわち、中長期的な観点に立てば、使命感の強い会計プロフェッションの育成を阻害し、監査の品質に重大な悪影響を与えることになると懸念する。 |
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4. 監査人への期待と監査人が責任を負える情報の範囲 | |
(1) 監査人への期待 現在、資本市場が有効に機能するための前提となる、企業の公表情報の信頼性確保に対する監査人への期待は非常に大きいものがあり、上記の欧州委員会グリーン・ペーパーの「2.1監査人による利害関係者へのコミュニケーション」の記述にも如実に表れている。そこには、現状の監査意見は利害関係者にとって“too little too late”ではないかという問いかけがあり、監査人は利害関係者に有益と考えられる情報の開示や外部及び内部のコミュニケーションに積極的に取り組むべきではないかと期待されている。そして、「現在のところ、監査の焦点の大部分は歴史的情報に基づくものであるが、監査人が企業の作成した将来情報の評価を行う範囲、また、監査人自身が企業の経済上・財政上の展望について情報提供できる範囲について検討することが重要である。」と述べている。すなわち、監査人に期待する保証対象の情報を、従来からの歴史的情報に限定せず、企業の作成した将来情報の評価、さらに監査人自身の企業の経済上・財政上の展望に関する将来的情報まで拡大できないかと問いかけている。 ところで、情報の価値は、提供される情報の範囲とその情報の確実性・信頼性の程度によって決まってくる。現在の傾向として、提供される情報の範囲は拡大の一途を辿っているが、そこでは情報の確実性・信頼性が軽視される傾向があるのではと感じる。公表される情報に接する監査人の立場からは、どの範囲の情報に、どの程度の確実性と信頼性を保証できるのかは切実な問題である。 |
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(2) 公表情報に対する二重責任の再確認 企業が公表する財務情報は、企業経営者の資本市場に対するメッセージであり、経営者の期待的な主観的意思が込められている。特に、事業投資や自由にアクセスできる継続的な金融取引市場を持たない金融投資に対する公正価値オプションなどの評価に対しては、経営者の期待的な主観が入り込む余地が大きい。また、監査人の「継続企業」に関する監査報告書上のメッセージも、企業経営者の将来予測に基づくメッセージをベースとするものである。すでに監査対象とされている財務情報にも、企業経営者が提供する将来予測情報が一部含まれている。しかし、これはあくまで一定の前提をおいた場合の予測に過ぎず、企業経営者自身もその前提に100%責任を負えるものかは疑問である。一方、監査人側にもそのような状況にあるものを評価するだけの適切な能力を備えているかという大きな疑問がある。グリーン・ペーパーにおいても、そのような疑問を感じているのではないだろうか。すなわち、監査報告書に関して「監査人が、どのような職業的専門家としての判断基準、内部モデル、過程、経営者の説明に基づき、貸借対照表の構成要素を検証したのかについての開示」や「監査報告書と一緒に、又は監査報告書における、有益な情報(例えば、可能性のあるリスク、部門別の展開、商品リスク及び為替リスク)の開示」の是非について問いかけている。また、監査人の外部とのコミュニケーションに関しても、監査人が入手できる情報で、公益に資するもの(企業がさらされている将来のリスク及び事象、知的財産に対するリスク、無形資産に悪影響が生じる範囲など)の公表に何らかの義務を課すことができないかとも問いかけている。 しかし、監査報告書以外におけるこれらの情報は、本来、企業経営者がリスクをとって開示すべきものであり、監査人が提供すべき情報とは考えられない。たとえ、利害関係者にとって情報価値があるとしても、監査人はその公表情報に責任を負うことはできず、また監査人が責任を行うべき行為でもないと考える。ましてや、そのような信頼レベルの不安定な将来予測情報に監査人が何らかの判断を下すことを、財務情報利用者が望んでいるのかについても疑問がある。何故なら、これらの将来予測情報に一定の有用性があるとしても、監査人がその情報について一定の保証を与え、その責任を負担することができるかは大いに疑問があり、そのような一見保証されたかのような情報を公表することは益よりも害のほうが大きいのではないかと考えるからである。監査人が不確実な将来予測情報の領域に踏み込んでゆくということは、責任の取れる範囲を逸脱していくことに等しく、責任の境界を不明確にするものである。すなわち、監査人が自信を持って責任を取れる範囲を明確にすることが、何より重要であり、責任の境界が不明確な制度設計は財務諸表監査制度の有効性にとってマイナス効果を与える。資本市場に公表される企業財務情報に関して、その力量を超えた業務を監査人に割り当て責任を取らせようとする姿勢では何も解決しないのではないか。 |
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(3) 市場関係者の適切な責任分担 資本市場の信頼性の確保には、資本市場の代表的なプレーヤーである企業経営者、監査人、証券アナリスト、証券取引所及び金融規制当局がそれぞれの責任を明確にした適切な役割分担が必要である。現在PCAOBや欧州委員会が、監査人の独立性に注目しているのは、監査業務の提供先であるクライアントから報酬を受けることによる企業経営者からの圧力を無視することができず、監査人がその圧力に耐えるため制度的にサポートの強化ができないかという問題意識が出発点にあると思う。 ところで、監査人が監査実施過程において最も経営者の圧力を受ける局面は、どのような局面であろうか。現在の会計は資産・負債アプローチに傾斜し、貸借対照表上の構成要素とその評価に重きが置かれており、特に広い意味での金融商品の評価が当該企業の投資価値に大きな影響を与えている。この評価過程には、経営者の主観的判断が強く働き、監査人が経営者からの強い圧力を感じる局面である。リーマン・ブラザーズの経営破綻以降の金融危機をもたらしたのは、まさしくこのような広い意味での金融商品の評価(保険、その他リスクを引き受ける多様なサービスを含む。)の欠陥によるものではなかろうか。その評価につき、すべて監査人の適否判断に依存することは制度的に無理のある要求ではないか。他方、この責任を経営者に帰すだけでも、金融危機を回避できなかったことも事実であろう。 金融商品に潜むリスク評価については、本来、監査人の能力を超えているのではないか。ここで、思い出されるのは受験時代に、「監査と鑑定は明確に区別しなければならない。」という故日下部與一先生の教えである。以下に、新会計監査詳説(中央経済社)の記述を引用してみたい。 【鑑定は一般的または美術的には「めきき」をいい、法律的には「専門的知識をもって事実を判断すること」を指すが、いずれにしても監査とは異なる。旧監査一般基準の8に『監査人は財産の品質及び性能の鑑定又は財産の価値の評価若しくは法律行為の鑑定をなすものではない。』とあったように、監査人は決して財産の品質や性能或いは法律事項に関する鑑定人でもなければ評価人でもなく、また法律家でもない。監査人がそれらの業務を行わなかったとしても、決して自己の任務を怠ったことにはならない。】 現在行われている広い意味での金融商品の評価、いわゆる公正価値評価はここでいう鑑定に極めて近い性格を有するものと思われ、その評価には経営者の主観的な投資判断の妥当性を確認する必要があり、監査人の能力を超えるのではないか。また、この確認過程ではまさに経営者の主観的判断に対峙することになり、監査人は経営者の強いプレッシャーを受け、その結果、無意識のうちに妥協や馴れ合いへの誘因が生じる可能性が強いものと考えられる。 加えて、現在このような評価作業に重要な監査資源が投入され、従来から監査に期待されている歴史的情報の信頼性確保への対応にも影響が生じているのではないかという危惧がある。したがって、監査人が全面的に責任を負える有効な財務諸表監査を機能させるには、監査人を自己の能力を超える金融商品の評価業務から解放する必要があるのではないかと考える。また、商品設計が複雑でリスクがあまりにも不確実なもの、すなわちギャンブル性の強い金融商品も見受けられ、これらの販売や流通については本来金融規制当局の責任で対処すべきものであろう。 いずれにしても、広い意味での金融商品の評価、いわゆる公正価値評価について、そのすべてを監査人の判断に委ねるというのは過大な期待であり、反面、監査人が全面的にそれを引き受けるというのは監査人の無責任さの表れであるか又は驕りではないかと思う。 |
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5. 独立性強化案の再検討 | |
(1) 「監査事務所の強制ローテーション」の是非 「監査事務所の強制ローテーション」の提案は、企業経営者と監査人の馴れ合いを防止し、監査人が変わることによって新たな視点が導入されるとして、過去何度も提案されてきた。これに対して、監査の有効性を確保するためには、企業及びその事業に対する知識と経験の積み重ねが求められるが、強制ローテーションによりその知識と経験の継続性が断たれること、監査対象企業が国際的な企業である場合には海外子会社等の監査人の変更も余儀なくされる場合もあること等から、すなわち経済的合理性の観点から反対意見が述べられてきた。日本公認会計士協会も、2010年12月8日に欧州委員会のグリーン・ペーパーに対し、また、2011年12月12日にPCAOBのコンセプト・リリースに対しコメントを提出し、特に経済的合理性の観点から的確な指摘をし、強制ローテーション反対の意見を述べている。ここでの反論は、実務家として運用面の重要なポイントとその短所を的確に指摘したもので、説得性のあるものである。 ここで、私が訴えたいことは、強制ローテーションの提案は会計プロフェッションである監査人が社会的負託に応えようとする自負を無視するものであり、中長期的に監査人の実質的な監査能力の低下を招来すると確信し、賛同できないということである。この点に関して、協会も上記の2つのコメントにおいて、定期的、自動的な監査人の交代により、監査の品質に対するモチベーションが低下する可能性、さらに、監査コストは増加するにもかかわらず、監査報酬は低下する可能性があることを指摘している。その結果、監査業務自体の魅力、ひいては監査業界全体の魅力や活気が失われ、将来的に監査業界が有能な人材を引き付け育成することが困難になる等、中長期的に監査業界全体に悪影響を及ぼす可能性があると懸念を表明している。 ところで、強制ローテーションには、先に述べたように必然的に「誰が次の監査人を選定するのか。」という問題が付きまとう。すると、実質的に誰が監査人として適任かということよりも、外形的な客観性と公平性が重視されることになり、そこには金融規制当局の意向が反映される余地が生まれる。その結果、次の監査人を目指す者は、監査人の指定権限者(実質的には金融規制当局の管理下にある者であろう。)からの独立性を確保することが困難な状況に置かれると危惧される。このことは、監査報酬のプール制の提案にも当てはまる。監査人の会計プロフェッションという自負とそのセルフ・コントロールにより独立性を確保できない限り、自由経済社会の自治的なインフラとしての財務諸表監査制度を維持することはできないと考える。 |
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(2) 監査の品質向上に向けた独立性強化のアプローチの私案 先に述べたように、国際的な資本市場の信頼性の確保のため、財務諸表監査の品質の向上が求められ、とりわけ金融規制当局は監査人の独立性の強化策を推し進めようとしている。そこで行き着いたのが、「監査事務所の強制ローテーション」の提案であろうが、先に述べたように、中長期的な観点からは監査の品質を逆に低下させると考えられとても受け入れることはできない。しかし、国際的な資本市場の信頼性を向上させるために、監査人の独立性の強化を図ろうとするアプローチをまったく無視することもできない環境にあることも事実である。 そこで、以下では現行の自由経済社会における自治的な経済インフラとしての財務諸表監査制度の枠組みを確保しつつ、監査人の会計プロフェッションとしての自負を喚起し、実質的な独立性を確保し、監査の品質の維持向上に資するアプローチを検討したいと思う。ここでのポイントは2つある。すなわち、(イ)二重責任の原則に照らし、企業が公表する財務情報に対する監査人が負うべき責任の範囲を明確にすること、及び(ロ)企業と監査人との自由な監査契約を維持することである。(イ)に関しては、監査人に期待される公表財務情報への保証の範囲は拡大傾向にあるが、監査人が責任の取れる範囲を逸脱しないことである。もし、監査人の力量を超えた業務を監査人に割り当てても、責任が不明確になるだけであり、財務諸表監査制度の有効性にとってはマイナスである。もっと端的に言えば、リーマン・ブラザーズの経営破綻以降の金融危機をもたらしたのは、まさしく広い意味での金融商品の評価(保険、その他リスクを引き受ける多様なサービスを含む。)の欠陥にあると考えられるが、このような金融商品の評価、いわゆる公正価値評価について、監査人が全面的にそれを引き受けるべきかという問いかけである。(ロ)に関しては、監査は企業と監査人との緊張感を持った信頼関係により成り立つものであり、強制的に監査契約を制度的に強制終了させることは、会計プロフェッションたる監査人の自負を無視し、監査人の実質的な監査能力の減退を招くという視点である。 以下においては、この2つの観点を踏まえ、少し大胆に、監査の品質向上に向けた独立性強化のアプローチの提案を試みたい。 |
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≪提案1≫ 金融商品に対する公正価値評価は専門家に委ねる 現在、監査過程において、監査人が企業経営者からもっとも圧力を受ける可能性があり、監査人の本来的な能力を超える判断を求められる場面といえば、広い意味での金融商品の評価局面であろう。この局面では、企業経営者の主観的意志が強く働く可能性があり、監査人が積極的に評価できる能力を有しているかも疑問がある。実際の監査の現場においては、この局面の評価業務に対し多大な労力を投入しているケースがある。そこで、企業経営者の主観的判断が介入する金融商品の公正価値評価については、一定の鑑定行為として監査人の業務から除外することを提案する。 すなわち、広く金融商品の公正価値評価を行う専門機関を認定し、監査クライアントが一定レベルの公正価値評価が求められる金融商品を有している場合には、その認定評価機関の評価を受けることを義務付ける。そして、監査人はその専門機関の評価に依拠して経営者が財務情報を作成しているかどうかの判断を行う仕組みとする。すなわち、それらの評価については金融商品評価の専門家の判断に委ね、監査人をその評価業務から解放する。この金融商品の評価過程は、まさに経営者の主観的判断の是非を問うことになり、経営者の強いプレッシャーを受けることになり、無意識のうちに妥協や馴れ合いへの誘因が生じる可能性が強いものと考えられる。また、監査人の能力面からもその適格性に疑問がある。もし、監査人がこのような評価作業から解放されれば、その重要な監査資源が従来から監査に期待されている歴史的情報の信頼性確保のために投入され、タイムリーな情報開示にも結びつき、この面での実質的な監査品質の向上に資するものと考えられる。 |
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≪提案2≫ 外部からの業務執行責任者の受け入れ 今回の欧州委員会からの規則案では、公益事業体(上場企業、銀行、保険等)を対象とした法定監査に対する要求事項が示されている。ここでは、公益事業体に上場企業が含まれているが、社会的に影響が大きい投資銀行などの金融・証券関係の企業に限定して、「監査事務所の強制ローテーション」を適用してはどうかという意見も見られる。私自身、このように範囲を限定しても「監査事務所の強制ローテーション」には賛同できない。しかし、現在の論調を見る限りこのような発想は次善の策として考慮しなければならない局面があるかもしれないと感じている。ここで重要なことは、企業と監査事務所との監査契約を強制的に終了させるのではなく、自由な監査契約を維持しつつ、独立性の強化を図る工夫をすることである。 そこで、企業と監査事務所との自由な監査契約を前提としつつ、監査契約が長期間継続する限り、複数の業務執行責任者を求め、そのうち最低一人は、その契約監査事務所に所属していない者を指名しなければならない制度設計を提案する。 まず、どの監査事務所にも所属しない、高度な専門的知識を有し、かつ、十分な監査実績を有している者を、何らかの形で認定し特定の機関に登録させる。ここでの登録者は、ここで提案する外部からの業務執行責任者の受入れが義務付けられる、社会的に影響が大きい投資銀行などの金融・証券関係の企業の監査責任者を担う専門能力を認定された者である。ここでの対象企業も、当然のこととして、個別に特定の監査事務所と監査契約を行うが、この場合には契約監査事務所は複数の監査責任者が義務付けられ、そのうち一人はこの特定の機関に登録された者の中から任命することが義務付けられる。そして、ここで指名された登録監査責任者については有期的に強制ローテーションを行う。すなわち、複数の監査責任者のうちにその監査事務所に籍を置かない特定の指名者を置くことによって、監査事務所に籍を置く監査責任者を適切に牽制することが可能となり、監査事務所自身の独立性を補強する。こうすることにより、監査事務所の実質的な独立性を確保しつつ、企業と監査事務所の信頼関係が維持される限り監査契約は継続され、監査人の会計プロフェッションたる自負を傷つけることなく、日頃から監査人の実質的な能力研鑽の誘因を維持することができる。 |
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6. おわりに | |
近年の企業活動は、国際化や情報化を伴い、ますます複雑で多様な展開を見せており、それに伴い監査環境も、従来に比して急激に厳しいものとなりつつある。このような状況下、広い意味での金融商品の評価に係る会計・監査の不祥事が頻繁に生じているが、この問題に代表されるように、監査人が責任を負うべき事項とその能力を超え責任を負うことが困難な事項を明確にする必要がある。すべての公表される財務情報の信頼性を監査人に負担させようとすることは、本来監査人が果たすべき責任範囲をも不明確にする可能性がある。 また、上記において監査人の独立性について述べたが、現在はあまりにも形式的な利害関係の確認に時間が費やされているのではないかという疑問がある。すなわち、監査事務所の規模が大きくなれば、その人の顔も知らず実質的に監査意見の形成に影響が及ぶことがありえない人的な利害関係までも、確認の対象にされている。 すなわち、監査人の能力を超えた責任を監査人に課すこと及び実質的に意味のない利害関係の確認を実施することは、結果として、監査人の限りある時間を制約することになり、監査の実効性や監査人の能力開発の阻害要因になるのではと危惧する。監査人の独立性の担保は、監査の信頼性の基本となるものであるが、現在の自由経済社会の自治的なインフラとしての財務諸表監査制度を維持しつつ、監査人の独立性と監査の品質を実質的に高めるため、上記のような観点からの再検討が必要であると考える。 |
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以 上 |
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(1)(2)PCAOBの「監査人の独立性及び監査事務所のローテーションに関するコンセプト・リリース」及び欧州委員会のグリーン・ペーパーの「監査に関する施策:金融危機からの教訓」からの引用部分については、それぞれ「会計・監査ジャーナル」の2011年11月号と2010年12月号の記事の表現を参考にしている。 (3)1976年米国上院政府活動委員会宛てのメトカーフ委員会報告、1978年AICPAコーエン委員会報告、1994年米国連邦議会の要請を受けたSECスタッフの「監査人の独立性についてのスタッフ報告書」、2006年日本監査研究学会「監査事務所の強制ローテーションに関する実態調査について」など (4)近畿C.P.A.ニュース2011年10月号「植田肇先生を偲ぶ」前田武和氏追悼文参照 |
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