寄稿

石川昌司先生を偲ぶ

比佐禎史

 
 本年8月14日、石川昌司先生が逝去された。8月3日に、電話で話をした許りだったので、文字通り驚愕した。先生は長い間肺疾患で入院されていたがいつもお元気でおられた。久しぶりにお見舞に行こうと思ったが、急に行っても仕事や食事で病室におられないことが多かったので、念の為、電話をしてみたら自宅におられた。色々なことを話し合い、再入院すると言われており、少し不安や不満も洩らされていたが、休み明けにお見舞に参りますと約束して、電話を置いた。
 余りに急な話で、今でも信じられない思いである。
 先生との初めての出会いは、30年余り前、私が日本公認会計士協会近畿会の幹事になった時だった。当時の役員会の構成は平均年齢が高く、その中で石川先生は、若手の中心人物として活躍しておられた。
 先生の役員としてのスタンスは、筋を曲げない、地に足のついたオーソドックスなものだった。その仕事振りと同様である。
 先輩会計士いわく、「比佐君は言いたいことを言うが、石川君は言うべきことをいう。」
 近畿会では総務部長、副会長を歴任され、本部の理事としても活躍された。
 石川先生は、家族ぐるみで私共とお交際合い下さった。双方の家族でハワイに行ったり、蓼科の別荘に何度も御招待頂き、奥様共々ゴルフを楽しんだり、お子様の結婚式に御招待頂いたりもした。
 東京で世界会計士会議が開かれた時、さよならパーティで「レッツダンス」が始まった。その先頭で奥様が着物姿で踊っておられた。その姿を嬉しそうに見つめていた石川先生の顔を今も思い出す。
 今年の近畿C.P.A.ニュースに先生が寄稿された『六回目の卯年を迎えて』に「友人、比佐会計士いわく、六十歳を過ぎると下り坂の人生だから、大いに楽しめよ。元気なうちに…」の一文が9月12日の「お別れ会」で配布されていた。何とも軽薄なことを言ったものだと忸怩たるものがあるが、よもやこの様な事態が来るとは思わず、事実、今年は一緒にオペラに行く予定で先生と打合せをしていた。先生に「世界一周クルーズに一緒に行こうよ。」と誘われてもいたが、それも果たせなかった。
 仕事中心で72年の人生を走り抜けた石川昌司先生。公認会計士としての実績は、傑出したものであった。
 普段、お話をしていても、仕事のことが頭を離れず、亦、常に研鑽を忘れず、事実上の個人事務所を日本有数の監査法人に育て上げられた。永年の公認会計士功労として、黄綬褒章も受章された。その傍ら、各界とのお交際合いも広く、逝去された後、私に弔意を表して、電話してくる方も多かった。
 監査法人の方は次男の石川宗隆公認会計士が参加してくれる。彼は特別に優秀です。
 個人事務所の方は、税理士法人S.T.M.総研に組織変更済みです。
 完璧でしたね、石川さん。