植田肇氏を偲ぶ

公認会計士 松山治幸

 「1989年(平成元年)知事交際費の公開判決」社会部記者はみた 神野武美 の記事は、平成7年10月8日の朝日新聞朝刊に掲載されたものです。大阪府知事の交際費情報を公開すべしとの訴えが認められ、植田先生らが笑顔で会見している様子です。会見日は平成元年3月14日で場所は、大阪地裁の司法クラブです。(写真の左側から、 公雄弁護士、森谷昌久弁護士、植田肇公認会計士、熊野実夫公認会計士、岩崎善四郎税理士)
 この開示請求を求める訴訟は植田先生の人としての信念を示す原点で、ここから醸し出す情熱は、強い刺激を受けたものでした。独立性堅持は基本中の基本と学びました。
 下に掲載された写真は平成14年4月20日に植田肇先生と熊野実夫先生の傘寿のお祝いをした時のスナップ写真で笑顔がいい。場所は、梅田のウェスティンホテルです。帽子をかぶっておどけるお2人はもういない。
 植田先生の近畿会の役員歴と、その時代の会長は下表のとおりです。昭和54年の近畿会会長選挙は、植田氏と近松氏の対決となり、近松氏328票、植田氏が327票と1票差の僅差であった。この時の副会長(無投票)は、熊野実夫氏、下地民夫氏、畑下辰典氏、枡田圭児氏であった。幹事選挙では、米山正次氏、前田武和氏、岡本信久氏、山本龍雄氏、長船強氏、井上守晴氏、上田高嶺氏らに加えて、谷口弘一氏、島征一郎氏、岡田孝次氏、辰巳忠次氏らも幹事であったそんな時代であった。