寄稿

第45回定期総会レポート

公認会計士 三馬 忠夫

 
1.「公認会計士の日」は「公認会計士の火」とならなかった。
 平成23年7月6日の本部定期総会に私は出席した。6日は「公認会計士の日」ということで、帝国ホテルで開催された総会は、総会前に勃発した「山崎会長リコール問題」によってその日は正に「公認会計士の火」になることを期待していた。
 その火種は、山崎会長解任請求に関する544名の署名が理事会によって否決されたことである。会員には議案提案権があり300名以上の会員・準会員の同意をもって提案できることとなっている。しかし、それは理事会の議を経て総会に提出されるものであった。(会則第86条)
 株主提案ならぬ会員提案「山崎会長リコール問題」が総会議案として処理されなかったことについて、担当副会長の手塚氏が理事会決議の内容を説明した。
 理事会の体制が山崎会長支持派(大手監査法人グループ)であることから、前代未聞の「山崎会長リコール問題」が消火されてしまった。
 「山崎会長リコール問題」とは一体、何であったのか、前代未聞の茶番劇としての理事会の会員議案提案権無視の措置に対しては怒りを覚えるものである。
 会長の解任理由として趣意書で述べられている「会長のリーダーシップが欠如している」ことを意識して、「今後は、会員からの意見を聴取して会務を進める」というような論点ぼかしで済ませた。この「会長リコール問題」に関する発言は、近畿会会員3名と東京会1名だけで、それほど盛り上がらなかったことは誠に残念である。大手監査法人における「会長リコール問題」に署名しないようにとの縛りが行われていたことの証明であったと思われる。
 激しい質疑応答が行われるであろうことを私も期待していた割には拍子抜けの総会前半の感じであった。
 「想定外」で「前代未聞」の「会長リコール問題」が発生したことに対して、会長を補佐すべき副会長たちが諫言できなかったことや、協会の相談役という方々は機能していたのかと疑念を抱かずにはおれなかった。
 
2.リーダーシップ欠如は放置できるのか
 「山崎会長リコール問題」の一因である会長のリーダーシップ欠如については、不問に付するとの説明がなされた。
 日本の政治のリーダーである首相においては、辞める、辞めないと醜態をさらしているが、近年、多くの組織において、誰がリーダーであってもそれほど変わり映えしないと言う諦めの気持ちがあるのかもしれない。毎年本部総会に出席をしてきて、多くの問題を掲げて会長へ質問を投げかけた者として思うことは、近年の会長が小粒になってきたことと、当人にリーダーとしての資質に疑問を抱くような方が選任されているように思われる。
 会長としてのスケールの小さいことや威厳の少なさは、大手監査法人という組織から排出されてくる者が順送りで会長に就任することから、人材難を表しているようでもある。
 会計士業界のオピニオンリーダーとしての日本公認会計士協会、その会務運営が大手監査法人によって牛耳られていることから、協会の会長に就任できる者は、大手監査法人から、いわば出向者でしかない状況にある。1期前から、会長には報酬が支払われるようになったことで、これまでの会長は、無報酬で出向元である大手監査法人の負担によって成り立っていたことから、出身元監査法人では、送り出した会長者の報酬相当分が減額されて、負担軽減になったことであろう。
 会務運営における会長のリーダーシップ欠如は誰がチェックするのか、高い報酬を支払っている会長の会務に対するピュアーレビューこそ必要ではないか?多くの理事や監事は何をしてきたのか?
 
3.会計士業界が抱える問題を処理できるのか
 「山崎会長リコール問題」に対する説明の中で、公認会計士業界が抱える問題としては、「IFRS問題」や「税理士法改正問題」などが重要な問題であるといい、それら外患を対処するためには強力なリーダーシップが要求される状況において、リーダーシップの欠如した会長が問題処理が出来るのか疑問に思われる。
 『企業財務会計士』創設という法案が廃案になったことから、安堵しているようだが、一端この法案に賛成を表明したリーダーの責任問題を放置したままで、上記の問題が対処できるのかと誰もが感じている。

 「会長リコール問題」に関する発言の中では、その問題の本質が『企業財務会計士』という名称にあることを忠告するものがあった、拙速な理事会運営に対する遺憾の意の表明でもあった。
 
4.会長始め役員には高い倫理観が要求される
 前会長などが関与したビックカメラの粉飾決算監査についても理事会では問題視されることが無かった。私が質問に取り上げた問題は、専務理事及び常務理事に関する倫理問題であった。
 会員には倫理を要求されているが、実際に高い倫理観が要求されるのは、まず始めに協会の役員である。会務を掌る理事にはより高い倫理が要求されるとの前提で、その倫理観を問うてみた。
 その問題とは、昨年クワラルンプール(KL)で開催された世界会計士会議においてである。大会期間中に日本の会員の発表時間帯に、専務理事及び常務理事この両名他がゴルフに興じていたこと、彼らの会議への旅費が公費であったことから、倫理違反の問題ではないか、という質問を行った。
 答弁に立った会長からは、「専務理事は会議の前からKLに行って関連会議に出席していることから、問題がない」との見解を示し、まったく反省の弁すら聞こえてこなかった。
 公費出張者が会議中に遊び呆けていることを良とする山崎会長の見解は納得がいかなかった。少なくとも反省の弁を言ってしかるべきだろう。過ちを認めることこそ倫理を理解した者の言葉であろう。
 リーダーシップの欠如だけではなく、倫理観も喪失した会長には協会会務を任せることは心配である。
 会務や決算説明や会則変更などがあって審議は淡々と進められた。総会の中では、会計士試験合格者の未就職問題の解決策や、監査実例として大きな話題になっている東京電力の監査報告書における適正意見表明の問題などを討議することもなければ、多くの出席会員には「他人の監査に関係ない」のか話題を提供しても興味を示さなかった。3時ころになって休憩が取られると、相当数が退席してしまっていた。
 
5.「会員の声」は聞こえているのか
 総会終了後にはいつものように行われる「会員の声」、その時間には総会出席者の2割〜3割程に減少してしまっていた。ほとんどが帰っている状況で、「会員の声」の討論にそれほど意味がないように感じている。しかし、少し気楽に発言できることから、多くの発言を期待するものの、それほど発言がなく、また時間がないと制約される「会員の声」。今年は東京会の若手会計士一人が発言していたことだけが救いだった。
 公開会社の株主総会でも、最近では質疑応答が活発に行われるようになったが、情報公開を標榜する団体である会計士協会においてそれほど質問もなく、予定された議題だけが進められる総会には、業界の明日が見えるような気がする。「物言わぬ会計士」が会計監査を行って果たして会社に「物言う会計士」に変身することは期待できないであろう。定型的な監査を行って高い報酬を得ることでもって満足している大手監査法人所属の会計士による協会運営が組織の活性化をなくしているように思われる。
 「会員の声」では幾つかの質問が出される、それに対して担当理事から回答されるが、会員からの問題提起を会務運営者がどれほど聞く耳をもって会務に反映させているのだろうか。言い放し、聞き放しの状況からは何も生まれないだろう。会員の意見を反映させてこそ会務に活力が出てくるだろう。儀式としての「総会」や「会員の声」はサヨナラしたいものです。