寄稿

翔る!ニッポンの公認会計士?ハンガリー編

西垣内 琢也

 
 空港からの70km制限の一般道路を120kmでぶっぱなすタクシーで、落書きだらけの退廃した共産時代のアパートを見ながら街中に入るとそこは大渋滞。ドナウ川には重厚な鎖橋。見上げるとずっしりと歴史を物語る建物の数々。そのまま郊外に抜け、のどかなひまわり畑と小さな町をいくつか越えると、日系企業の1つである自動車会社に到着。日本と同様にきれいでよく整理されオートメーション化された工場を見せてもらう。夜は水着を着てホテルにある温泉、いや温泉プールに行く。
 それが私のハンガリー初日でした。
 ハンガリーの提携事務所に2008年7月に赴任して、3年少々の赴任期間が終わろうとしています。このハンガリーでの3年間を振り返って感じることを書いてみたいと思います。
 
ハンガリーで働くまで
 今、海外で働いているということが不思議なものだなと、たびたび思います。高校時代は英語は10段階の2をとったこともあり、英語に苦手意識のあった私としては、海外を飛び回り英語を使いこなすかっこいい「インターナショナル・ビジネスマン」に憧れはあったものの、それは単なる憧れであり夢でした。会計士となった後、クライアントが国際化していく中で英語の勉強の必要性は感じてコツコツ勉強はしていたものの、あまり身も入っていない状態でした。
 一方で妻となった人は、親が商社で小さいころは海外暮らし。彼女の「海外に連れて行って」と、私自身も遠く憧れていた「インターナショナル・ビジネスマン」になる最後のチャンスと思ったこともあり、ちょっと身が入りました。最終的にはブダペストに日本から新規派遣することが決まり、何とか選ばれました。
 なお、彼女の「海外に連れて行って」はどちらかというと、優雅な駐妻ライフということを意味していたようで、商社と比べて格段に貧相な会計事務所の駐在員待遇では「話が違う!」と赴任後言われることになったことを付け加えておきます。それでものんびりとしたハンガリーライフを彼女なりに楽しんではいるようですが。
 
ハンガリーという国
 ハンガリー人の祖先はアジアから来た遊牧民といわれており、ハンガリー語も他のヨーロッパ系言語とは異なる系統です。第2次世界大戦後はソ連の衛星国としての支配を受け、1989年に民主化しました。その後、スズキ自動車をはじめ日系を含む外資系企業の投資を受け、ヨーロッパの工場のパイオニアとして発展を遂げてきました。
 民主化後、EUにも加盟し西側諸国に近づいている面も多々あるものの、役所やサービス業の対応など共産主義的な面がいまだ残っている面も否定できません。
 国民の気質としては穏やかな人が多く(ハンドルをもたない場合)、治安もそれほど悪くないので、日本人にとっては比較的暮らしやすいところといえると思います。
 百聞は一見にしかず。ウィーンからは電車で3時間弱で来ることができますので、ぜひ一度お立ち寄りください。

ハンガリーの監査事務所
 監査業務という点については、グローバルの監査マニュアルを使用していることもあり、監査業務そのものについては日本でやっていることと大きな違いはありません。一方でハンガリーに本社のある大企業というのは少なく、大手会計事務所の場合には外資系企業の子会社がメインの監査先になります。そのため、外国語でのコミュニケーションを行うことは必須であり、事務所全員が程度の差はあれ英語を話し、数ヶ国語を話せる人も珍しくはありません。ある程度のマーケット規模のある日本と違い、ビジネスマンは英語を話せないと文字通り話にならないですし、ブダペストからでも1時間も車に乗れば国境についてしまうヨーロッパでは外国語を使う機会も非常に多いことも、英語を話せる人が多いことの理由の一つでしょう。
 勤務形態に目を向けると、女性パートナーやマネジャーの比率が日本より高いことに気づきます。これは会計事務所に限らず監査先の経理部長も同じことが言えます。勤務時間が日本のように長すぎないこと、いざという時のベビーシッターなどが利用しやすいこと、転職が珍しくないことなどが、女性が働く要因になっているのではないかと思います。
 
ハンガリーの日本人会計士
 それでは私が何をしているかというと、簡単に言うと日系企業の日本人と事務所の現地プロフェッショナルとの橋渡しが仕事になります。日系企業の日本人は必ずしも経理・財務出身者ばかりとは限りませんので、うまく噛み砕いて説明する必要があります。また、当初予定していた書類が得られない場合に、どういうものを準備すれば十分な監査証拠といえるのか、代替案を現地プロフェッショナルと日系企業と一緒に考えることもあります。文化的な違いからトラブルが発生しないように、前もって担当者とコミュニケーションを図ることもあります。また、日系企業のニーズをうまくつかんで、税務やアドバイザリーのサービスの提案をするのも仕事の一つです。仕事の中でコミュニケーションを図るのに英語が必要なのはいうまでもありませんが、単なる通訳というわけではないので日本での会計士としての経験を生かした仕事が要求されていると思います。
 

最後に
 日本に帰任後は再び監査業務の実務に戻ることになります。ハンガリーでの3年間は終わってみればあっという間でしたが、これからの会計士キャリアや人生の中での大事な宝物になると思っています。今後、会計士が海外に出て行く機会はますます増えると思いますが、それぞれ大事な宝物を持って帰れるものと信じています。迷っている人はぜひチャレンジを。