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國分紀一 先生を偲ぶ |
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比佐 禎史 |
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國分紀一先生が亡くなられた。昭和15年生まれだから、余りにも早い別れと言わざるを得ない。先生との初めての出会いは30年余り前、私が日本公認会計士協会近畿会の幹事になった時だった。私が初めて役員の前で挨拶をした時、役員会の席上でジィーと独特の視線で、私を見つめておられたのを今も思い出す。 その先生が國分さんと云うことは後で知った。國分先生は監査法人を経営する傍ら、大規模な個人事務所を経営する著名な公認会計士だった。対する私は、監査法人を退職した許りで、職員が一人だけの小さな会計事務所を経営する身であった。そんな私に國分先生は気さくに声を掛けて下さり、役員会の後は「比佐さん、行こうや」と言って、必ず食事のお伴を何時間もする仲になった。先生は若い時から色々な経験があり、美食家であったので、京都や大阪を食べ歩いた。 監査と税務に通暁しているという経歴から、近畿会での活動範囲は自ら税務ということになったが、それよりも活躍されたのは、総務、広報、編集といった領域である。やがて先生は、近畿会の副会長、本部の理事を歴任されることになる。一見、豪放磊落に見えるが、実は大変な気配りの人であり、正副会長会でも、実にバランスのとれた決定をされていた。亦、正副会長として担わなければならない会務は、相当、時間をとられることもあるが、避けることなく誠実に対応されていた。会務以外にも、税理士登録をした若手公認会計士の会である「研友会」を立ち上げ、初代会長に就任された。続いて近畿税務研究会の会長にも就任されて、熱心に活動された。國分先生は、税務に従事する若手公認会計士のことを、ずっと、心に掛けておられた。 30年余、國分先生に兄事してきたが、私が真似できないこともあった。先生は政・官界に知己も多く、沢山の関与先を抱えていることもあって、兎に角、忙しい人であった。先生の手帖を拝見すると、「予定でビッシリ」で真っ黒であった。仕事が好きで、仲間が好きで、遊びも好きで、兎に角充実した生活であった。私の手帖はずっと真っ白で、むしろ、それに満足していた。 先生は生粋の大阪人でありながら、江戸っ子みたいなところもあり、冷静な視線を持ちながら温かい心を持ち、仕事に熱心でありながら、遊びにも熱心で、兎に角、複雑で魅力的な人であった。私なんかを可愛がって下さったこと感謝に堪えない。 永年の公認会計士功労として、黄綬褒章を受章され、監査法人も個人事務所も、立派な後継者を育て上げておられる。 先生が闘病生活に入られた短い間に何度か電話を頂き、長い間話をした。お見舞いに行くことは許されなかったが、あれも先生なりの気配りだったかと、後で気がついた。 達観されていたのかとも思うが、清々しい気持ちを頂いた。 國分先生、有難うございました。 |
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