寄稿

『人生は明るく、仕事は独立性にこだわって』
故 國分紀一先生を偲んで

奥田 実

 
 4月4日の天王寺の「やすらぎ天空館」は早朝より、春には珍しく深く澄み切った青空のもと、祭壇中央には紀一先生が和やかに微笑む遺影をたずさえて、偲ぶ会の開場を待っていました。午前10時の開場を待ち切れずに大勢の皆さんが来場され、また、終了予定時間を約1時間延長し、大凡1000人の方が、2月19日の夜、肺癌で亡くなられた紀一先生と、辛いお別れをされました。
 國分紀一先生は、昭和15年1月に大阪は天王寺区で出生され、お父様の重雄氏は税理士、伯父様の吉広氏は公認会計士と、名門職業会計人の家族環境に育まれました。追手門高校から慶応大学商学部に進まれ、お父様が昭和46年6月に早逝されましたが、その前年の昭和45年4月に公認会計士登録を終え、30歳の若さで事務所を無事に後継されました。時に大阪は万国博で戦後最高の景気を謳歌している最中でありました。昭和57年には、慶応大学でのクラスメイトが名古屋で創立した栄監査法人に大阪事務所長として参画され、中小法人ながらも上場会社監査事務所として業務品質の確保には常に注力されていました。
 紀一先生は、一世代、二世代ご自身より若い会計士の育成に関心を持たれ、「職業会計人の命は独立性」、と熱っぽく語られ、そのためには、「監査人は、税務業務がしっかりとできなければ駄目。信頼される税務業務を提供するには、税務行政組織をよく知っておくことが必要」、と監査人が社会的影響力を増すためには、大規模法人を目指す風潮のなかで、合理的で組織的な法人経営の構成員を目指すよりも、卓越した見識を有する独立した経済人として、個々の会計士が監査人として経済社会から信頼されることの大事さを若手に、機会のあるごとに、熱く語っておられました。
 またそのためには、当時の大蔵省、財務局、国税庁、税務署等の経済行政組織や地方庁組織から一目置かれるように信頼されることの重要性を仰っていました。私は、紀一先生の説かれる「独立性こそが会計士の命であり、職業のネタである」との考えこそが、十代、アメリカはカリフォルニア州で高校生活を送った際に触れた米国での公認会計士が個人として有する社会的信用の大きさの原点、と大いに共鳴し、紀一先生が二次試験合格後業務補助のために勤務された中谷洋一先生のご紹介を受けて、栄監査法人の大阪事務所に加えていただきました。
 ほぼ同時期に、税務行政組織を知るために税理士会ともお付き合いを円滑にする仕組みを構築しようとして、税理士登録をしている若手会計士を結集した「研友会」という団体の創設を仲間と目論みました。初代会長に紀一先生を擁した研友会は、昭和63年4月に始まりました。國分会長の教えを継承し続けている研友会は、僅か数十人の会員で創立しましたが、今や一般社団法人として650名を超える会員を擁する団体に成長しました。
 若手会計士に税理士会の大事さを説かれた紀一先生は、ご自身は、所属された近畿税理士会南支部の支部幹事を昭和55年から平成3年まで継続して担当され、その後、平成3年から平成13年まで税理士会本部の監事に継続して就任されました。しかし同時に会計士國分一族には、ベテラン会計士にファンが多く、紀一先生は、推されて会計士協会近畿会の副会長を平成4年から11年まで務め、その後も顧問に就任されておられました。平成9年には、研友会の親会のような存在の近畿税務研究会の会長に推され、余人をもって代えがたし、と現役の会長であられました。
 紀一先生ご自身が独立した見識を有する経済人として経済社会から信頼された大いなる証は、東証1部上場企業の社外監査役に就任されたのみならず、多数の公益法人の監事に推薦され、関西の一流の経済人として<國分=独立した見識=監事>の方程式を経済社会の中に浸透させ、清交社や南納税協会、大阪市信用保証協会、大阪国際交流センター、大阪府共同募金、粉体工学振興財団、さらに多くの学校法人と母校同窓会の監事、加えて、南ロータリークラブの会長等を歴任され、正に紀一先生は、独立した自由人である公認会計士のアイデンティティーを関西の経済社会にしっかりと浸透させました。政府はこの紀一先生の公認会計士としての社会への功労に対して、平成12年の秋、黄綬褒章を授けております。
 未だに亡くなられたのが信じられず、ケイタイに「奥田ハン、今日は、アンタ新地に出るの?」、と例の明るい声でお誘いが今にもかかってくるような気がしてなりません。本当に残念至極です。しかし、私どもの使命は、後継者であるご長男國分博史先生に栄監査法人の大阪事務所長に就任いただき、紀一先生に、「さすが奥田ハン、ようやってくれる」、と天国で明るく微笑んでもらうことにあります。意外と心配性だった紀一先生ですが、「博史先生も我々も上手くやっていきますから、どうかご心配なく。それより、天国でエンゼルを独り占めしないでください」、と願うこの頃であります。

故 國分紀一先生