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大西正也公認会計士のご逝去を悼みつつ |
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松本勝幸 |
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大西さんに初めてお目にかかったのは私が会計士試験合格後に勤務していた事務所でした。事務所に入所する際に所長から「非常勤の大西会計士にも監査を手伝ってもらっている。確か大西君は君の学校の先輩だと思う。」というお話を聞いておりました。未知の世界で働こうとしている私にとって、先輩がいるという話は不安を和らげてくれる一言でした。 その後、大西さんとは監査の現場で何度か一緒になり、同窓というよしみ、また同じ尼崎市在住ということでちょくちょく飲みに行くようになりました。監査での大西さんは非常に緻密で論理的に仕事を進められていましたが、仕事帰りに立ち寄る店では愉快で優しい先輩でした。仕事現場では表情を表に出されることはほとんどありませんでしたが、プライベートな時間にみせる笑顔は人懐っこくて非常に親近感がもてました。後輩の私が生意気なことを言ってもいつも穏やかに対応して下さいました。 そして大西さんと言えばビールをこよなく愛する酒豪でした。あっという間にグラスを次々と空にする飲みっぷりはまさに酒豪という名に相応しいものでした。 大西さんは大学のオーケストラ部でトランペットを演奏されておられたことから、音楽の趣味が広く、歌も非常に上手く歌われていました。いつの日か大西さんのトランペットをお聞きしたいと思っておりましたがそれは叶わぬこととなってしまいました。 大西さんはその人柄で多くの方とお知り合いでした。そのご縁で私も多くの会計士の方のご紹介を受け人の輪を広げることが出来ました。私が独立する際には真剣に相談に乗って頂き、また貴重な助言も数多く頂きました。仕事の軌道がうまく乗るように色々な仕事もご紹介頂きましたことも併せ感謝の念に堪えません。このように非常に頼りにしていた先輩が突然お亡くなりになり残念でなりません。 大西さんがお亡くなりになってから時間が経ったにも関わらず今でも大西さんから着信がある気がしております。 五十歳にもならず若くして亡くなられた大西さんのご無念を思うと言葉がありません。 大西さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 |
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渡邉直樹 |
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私が大西正也公認会計士の訃報を知ったのは、8月22日(日)午前のことでした。箕面の勝尾寺で、毎年恒例の監査法人アイ・ピー・オー夏季研修を行っている最中のことでした。大西正也公認会計士には、監査法人アイ・ピー・オーで非常勤ではありますが、従来から複数社の主査をご担当頂いており、かかる夏季研修について、前もってセミナー講師をお願いしておりました。 8月3日(火)に、「お世話になります。急病のため、昨日より尼崎大もつ病院に2週間入院いたします。今月がIPOのしごとがお手伝いできない状態で、20.21の勝尾時も参加できません。よろしくお願いいたします。 大西正也」というメールを頂いたのが、最後のメッセージでした。実際のところ、かかる夏季研修は8月21日(土)・22日(日)だったのですが、察するにおそらくは混濁しつつある意識の中で、責任感からメールを一生懸命に打って頂いたのだと思われます。 そして、8月11日(水)午前中にお見舞いに行った際、「大西さん」と呼びかけたところ握手をしたのが最後の意思疎通となりました。 8月2日(月)から約3週間の入院で帰らぬ人となってしまったことについて、今でも何だか信じられません。また、無念であったのではないかと察します。 大西正也公認会計士は、お住まいが尼崎市東園田町という阪急園田駅の近くで、自身も実家や個人会計事務所が同町内であったことから、懇意にして頂いておりました。自身が小学生の頃から、町内に公認会計士の人がいると噂を聞いていました。また、近畿実務補習所で運営委員をされていて、自身も専門委員をするようになり接点も増え、同じ公認会計士有志のCPE研修会(企業財務情報研究会)でもメンバーとしてご一緒しておりました。 阪急園田駅では、仕事帰りにたまにお会いし、毎回ではありませんが同駅周辺の商店街の居酒屋で一杯やって、行きつけのスナックでカラオケを歌いました。 大西正也公認会計士は、50歳を目前に49歳という若さでこの世を去られましたが、今でも阪急園田駅の夜の駅前を通るとき、在りし日の大きな体で大きな鞄を持った大西正也公認会計士が歩いていそうな気がしてしまうことがあります。 ご冥福を心よりお祈りいたします。 |
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