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会長退任挨拶 |
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会長 中務 裕之 |
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![]() 近畿会会長の任期を終えるにあたって、ご挨拶申し上げます。会長だけではなく近畿会役員としても節目となりますので、18年間の近畿会会務活動を振り返ることにいたします。一人の会員の会務への関わりをお伝えすることによって、一人でも多くの方が会務へ関心を持っていただければ望外の喜びです。 |
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1.協会活動に関わることになったキッカケ | ||||
私はデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ公認会計士共同事務所(DHS。後の監査法人三田会計社、その後監査法人トーマツ)東京事務所に入所し、4年勤務したのち、大阪事務所に転勤してきました。そしてさらに約4年勤務した後に平成元年に独立開業しました。 開業しても顧客はゼロからのスタートでしたので、先に独立されていた大阪事務所の先輩から種々のアドバイスをいただいた一つが、「近畿会の税務委員会に出てみると勉強になるし、知り合いもできるよ」ということでした。 早稲田大学卒業後、東京の実務補習所に通った私にとっては、大阪での会計士の知り合いは、DHS大阪事務所所属の数名だけでしたから、時間がたっぷりあることもあって、委員会での議論及び終了後に行く、阪急東通り商店街の突き当たりにあった今は閉店した「テキサス」というステーキ屋でいろんな話をする(もっぱら聞く)のが大変楽しかったです。 さて、しばらくすると近畿会の役員選挙の時期がやってきまして、既に徐々に委員会のお手伝いをするようになっていたので「どうせ時間はあるし、会務のお手伝いをするなら、幹事として関わっても面白いかもしれない」ということで、平成4年(1992年)に立候補しました。知り合いがほとんどいない私にとっては、無投票であったのが幸いでした。 これが会務に関わり、そして18年間の役員を務めることになったスタートです。 |
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2.いきなり法務会計委員長を拝命(平成4年、1992年、34才) | ||||
初めて役員になった、それも若輩者の私に、いきなり法務会計委員長の話をいただきました。当時は就任1期目で委員長になる例は少なく、税務委員会での活動を見ていただいた担当副会長の方のご推薦のおかげと思っています。が、いうほどカッコイイものではなく、当時の法務会計委員会は休眠状態だったので、誰でも良かったというのが真相でしょう。 なったからには、何かをせねばと思い、まずは委員の掘り起こしから初めて、過去に作成されていた「和議法調査ガイドライン」を改訂発行することができました。 人生とは不思議なもので、このときに一生懸命に勉強し、活動するキッカケをいただいたおかげで、現在、会社更生法や民事再生法などの倒産事件が得意分野となっています。 なお、この期には別途、「地価情報の開示に関する意見書」の作成に関わりました。地価税評価額を注記で開示すべきという提言です。現在の減損会計や販売用不動産の時価開示を考えると当たり前と思われますが、当時は取得原価主義で開示されていましたから、近畿会の先見性の一つです(とはいえIFRSの求道者のような時価指向は行きすぎのように感じています)。ついでですが、先見性の他の例として、私は関わっていませんが平成6年の「政党助成法の問題点−公認会計士の立場から−」は、現在の問題にも通じる近畿会の業績です。 |
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3.2期目は研修部長(平成7年、1995年、37才、現:研究・CPE研修部) | ||||
当時私が企画したことは、統一論題の部のパネルディスカッションを、シナリオで事前に固めずに、パネル(代表者)が本当に議論する進行にすることです。テーマは「公認会計士って何する人?」です。公認会計士の仕事としては今なお監査をする人のイメージが強いですが、主に監査の経験を基礎として、幅広い分野で活躍すべきという意識です。思えば、会計監査ジャーナル2010年3月号の「視点」に私が寄稿した内容と思考が同じです。(最近よく思うのは「三つ子の魂、百まで」です。) なお、この時から任期が2年となっており、京滋会と近畿会だけが、協会本部と異なる任期となりました。(その後、現在の任期から協会本部に合わせて3年任期に戻しました。) |
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4.3期目は広報部長(平成9年、1997年、39才) | ||||
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5.4期目は公益会計委員長(平成11年、1999年、41才、現:非営利会計委員会) | ||||
この期は目一杯活動しました。平成10年に特定非営利活動促進法が施行されました。大阪青年会議所が設立した大阪NPOセンターでの会計相談を通じて、NPO法人は事業遂行には得意であっても会計など総務的な業務には不得意であることがわかりました。かといって個別に数多い団体を指導するには限界があります。そこで近畿会で、一般市民団体向けセミナーを開催しました。また「特定非営利活動法人の計算書類 −実態調査並びにモデル記載例−」という冊子を作成しました。当時、このような冊子はなかったので、遠くは長崎県からも購入依頼があるほど活用いただきました。余談ですが、ある県では一冊数百円の印刷実費で提供しているにも係わらず、「見積書を作成して送って下さい」と言ってきました。お役所仕事とはこのことか、と知った経験です。 またNPOの関係で非営利会計を勉強したことから、非営利会計全般への知識が深まり、そのことからの問題意識として蔵口康裕当時副委員長と共に「非営利法人統一会計基準についての報告書」を作成しました。協会本部は平成19年に同趣旨の研究資料を公表しましたので、これは7年ほど早い動きでした。 |
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6.副会長(平成13年、2001年、43才) | ||||
![]() 担当副会長として、深く関わった事業として、一つは法務会計委員会から「民事再生法における参考書式」として事業計画案、財産評定、資金繰表の3部作を作成したことです。これは大阪地裁で配付されていますし、弁護士が購入する倒産六法にも収録されました。 もう一つは、大阪弁護士会と「非常勤社外監査役の理論と実務」を発刊したことです。これも一つの契機となり、大阪弁護士会とは他にも多くのコラボレーションを行っています。 さらに印象に残っているのは、平成18年11月にトルコで行われた世界会計士会議に近畿会主催ツアーで行ったのですが、同ツアーは添乗員がいないものでしたので、結局は総務担当副会長として、ツアー中、添乗員のような仕事をしていました。おかげさまで参加者の方とは楽しくご一緒させていただけました。 |
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7.いよいよ本題?会長として(平成19年、2007年、49才) | ||||
近畿会会長には、当初からなりたいと意思を固めていたのではありませんが、長年会務に携わってきましたので、自然体で身を任せました。私の任期から3年に変更されること、また地域会会長会の正副議長にもしなれば本部副会長の任も兼ねることから、実は会務の負担の大きさに逡巡し、自分が置かれた流れに棹をさす気持ちもなかったではないですが、結果として全うできたことを嬉しく思っています。 | ||||
◇ アジア太平洋会計士会議(CAPA)大阪大会 | ||||
平成14年、大西寛文当時近畿会会長の時から、長年に亘り準備してきたCAPA会議が平成19年10月に皇太子殿下にお越しいただいて大阪国際会議場で開催されました。詳しい報告は記念誌に譲りますが、最終の詰めの頃には佐伯剛本部組織委員長と毎日家族より長い時間を過ごしたことを思い出します。 | ||||
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この経験により各国の会計士制度をイメージできるようになったので、現在金融庁で行われている試験制度の議論を本部副会長の立場で考えるにあたって役立っています。 同様に平成20年4月にIFRS(国際財務報告基準)を作成しているIASB(国際会計基準審議会)のトゥイーディ議長が来阪されたときのレセプションでの経験は、IFRSがより身近に議論できるようになった気がします。 何事も百聞は一見にしかずと言いますが、多くの経験をできることは有り難いです。 |
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◇公認会計士制度60周年記念事業 | ||||
記念講演会を一般市民にも開放して中之島中央公会堂で開催しました。 記念パーティーは総会後の交流会を兼ねて開催しました。また最近の10年間をまとめた記念誌は10年ごとにまとめておかないと歴史が断絶する恐れがありますので、作成しました。結果として地域会で作成したのは近畿会だけでした。 |
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◇監査現場再生特別委員会と大量合格対応特別委員会 | ||||
どちらも佐伯剛特別委員長の発案とリーダーシップによるものです。奇しくも前者が公認会計士不足により現場が疲弊している状況、後者が未就職者問題の発生と真逆の事態で「なんでこうなったん」という感じです。前者は協会本部からすると警戒感を持たれた活動ですが、的確な方向の活動は自信をもって進めて行く必要があります。 今後の試験制度はこのような混乱が起きないように設計してもらいたいものです。 また我々の業界も工夫すべきです。 なお、未就職者対策で広報の協力をお願いした関係で、関西経済連合会と交流が始まり、今後も連携を深める予定です。 |
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◇小規模事業体監査特別委員会 | ||||
日本の監査基準では、上場企業から小規模事業体まですべての事業体がこの基準に従うべきこととなっていますが、とりわけ小規模事業体の監査における品質管理手続はどのような内容であるべきかについて、IFAC(国際会計士連盟)や諸外国の規定も参照した上で、私が特別委員長になり検討しました。様々な財務報告について公認会計士による保証業務が拡がることが、社会の幸せにつながるという信念が基本にあります。学者の方もこのテーマについては研究が進んでいないようですので、先駆的な研究と自負しています。今後は協会本部で引き続き検討される予定です。 | ||||
◇第三者委員会委員推薦制度の創設 | ||||
上場会社等でしばしば不正事件が発生し、多くの場合、第三者委員会を設置して原因等の調査が行われています。しかし中には十分な調査が行われていないのではないかと指摘されるケースがあります。その原因の一つとして、委員が現経営陣によって選ばれているからではないかという危惧もあることから、小川泰彦副会長に担当いただき大阪弁護士会と共同で独立した委員を推薦する制度を立ち上げました。 | ||||
◇フットサル大会ほか若手会員による活動 | ||||
フットサル大会は東京会が実施して人気が高いと聞いたので近畿会でも開催を計画してもらったところ、準会員の方の熱心なサポートにより驚くほど盛況で、すでに2回開催しました。また若手会計士特別委員会によるシンポジウムの開催や、準会員会のサポートによる広報活動などもこれまでになかった活動です。試験合格後1年から15年くらいまでの、これからの時代を担う若手会員の方の活躍がとても頼もしいです。 | ||||
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◇会員とのコミュニケーション | ||||
理想論すぎると言われるかもしれませんが、全員参加の会務であって欲しいと思います。実際はほとんどの会員の方はご自身の業務や生活に大半の時間を投入されています。もちろんそれが普通なのですが、民主主義について国民の関与の薄さを感じる時、公認会計士協会と会員の関係がそのようにならないようにしないといけないと思う次第です。特に大手法人とそれ以外の2極化が進み(「それ以外」は極をなしていませんが)、また今後は大手法人を定年まで勤める人が減少するのではないかとすると、会員一人ひとりがプロフェッショナルとして、協会、業界、社会に関わる必要が強まるのではないでしょうか。 このような想いから、会務をご紹介する機会としておそらく初めての企画である、中堅中小監査法人、若手個人会員の方と私との意見交換会を実施しました。参加者は多くはありませんでしたが、参加された方からは有意義だったとの感想をいただきました。またこれとは別の試みとして、近畿C.P.A.ニュースで会長報告を詳細に記載してきました。 |
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◇会費の暫定的値下げ | ||||
次期繰越収支差額が徐々に増加してきたこと、今後会員の増加が見込まれることから近畿会会費の値下げを検討しました。ただし協会本部の財政構造見直しにより、地域会交付金が変更される可能性があったことから、暫定的に2年間、近畿会会費を月額5000円から月額4000円に値下げすることを平成21年の定時総会で承認いただきました。最近になって協会本部の見直しが大幅ではないことになりましたので、2年後については今後の状況を踏まえて提案することになります。 | ||||
以上が常置の部・委員会活動以外での主だった活動ですが、常置の部・委員会の活動も総合して、選挙公報に掲載した公約(保証業務の普及、保証業務以外の業務の拡大、会員の会務への参画の促進に向けた活動)を役員、委員の皆さんのご活躍のおかげで、果たせたのではないかと思っています。 ただ大切にしたいものとして掲げました「会計士っていい人達だ」と社会から評価されることについては、大きな変化ありませんが、時々報道される事件が発生することは残念です。また「子供が公認会計士になることを躊躇なく勧める」については、試験制度や形式的な監査手続といった点などにおいて予断を許さない点がいくつかあります。 |
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8.会務を通して得たもの | ||||
皆さん自身がこれまでの人生を振り返った時に、例えばなぜ自分が公認会計士になったのか、なぜ今の職場や立場にいるのかを振り返った時、それまでに何の脈絡もなく、突然に結果が出ていることはないはずです。誰か他人が結果をもたらすキッカケを与えてくれているはずです。 会務というキッカケから得たものを参考までにお伝えすると、人とのつながりであり、仕事に限らず、趣味でも人生観でも、そこから得られた情報や感動です。 |
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◇会計や監査についての知識など | ||||
個人事務所ですと、上場会社の会計や監査についての変化について疎くなりがちですが、会務活動を通じて概略はトレースできています。 また日常では接点が少ない、金融庁や政治家、他団体との交流を通して、会計や監査の利害関係者の置かれた立場や動き方など世の中の仕組みの一旦を垣間見ることができたのは、「それが何の役に立つねん」と言われればそれまでですが、社会を知る貴重な機会でした。 さらに基準や手続、制度について読解したり、批判することに比べ、創造することは大変難しいこともよくわかりました。 |
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◇多くの方との面識の拡がり | ||||
「こんにちは、お久しぶりです」と挨拶できる人が多いというのは、理屈なしに嬉しいものです。面白い本や映画を見るきっかけをもらったなどもあります。 場合によっては、いろいろな分野での第一人者との意見交換や教えていただく機会もできました。 知識を得る場合もありますし、人となりや生き方に刺激を受ける場合もあります。 多くの先輩にご教示いただいたこと、若手の方から刺激を受けたこと、業界外のほんとうに多くの様々な専門家、行政人、経済人の方にご示唆、感動等をいただいたことに感謝申し上げます。 |
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◇自分の発見・理解 | ||||
自分がコントロール可能な範囲で仕事しているのとは違い、金銭的な関係がない会員同士で、かつ正解というものが多くの場合定まらない会務を行うわけですから、目指すところや価値観、こだわるところなど異なる局面が多々あります。そのような時にしんどい気持ちになる時も正直言ってありますが、逆に言えば、接する人が私自身を映し出す鏡となっているわけですから、自分の個性や特徴を発見・理解する貴重な機会です。 これが一番大きな得たものです。 |
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これらの経験を宝物と捉えるのか、それとも逆に無駄とは言わないがなんと効率の悪い時間の使い方だと感じるのかは人それぞれだと思いますが、私にとっては間違いなく全てが宝物です。 | ||||
9.おわりに | ||||
これからも近畿会は新機軸の提案、健全な議論に基づく改善提案、本部の手が回らないところのフォローといった特徴ある活動を継続、そして発展させ、一層活躍されることをこころより祈念申し上げます。また会員の皆様の業務も発展されることをあわせて祈念申し上げます。 最後に、以上のような18年間を過ごさせていただいたわけですが、一つの自慢があります。それは18年間でおよそ180回くらいの役員会があったと思いますが、やむを得ない海外出張で1回だけ欠席した以外は全回出席できたことです。まぁよっぽど暇があったのだという声も聞こえそうですが、これができたのは、まずは健康であったからです。私だけではなく家族も健康だったということです。また経済的に少なくとも困窮していなかったからです。家族や事務所の職員に負担をかけたと思います。また一緒に活動いただいた会員、役員、事務局職員の皆さんにも大変お世話になりました。こころから感謝申し上げます。ありがとうございました。 |