特集

アーサー・アンダーセンの崩壊は何を教えているのか?

熊本学園大学大学院教授、経営学博士
公認会計士  千代田邦夫
 
はじめに
 MAS(Management Advisory Services)と監査人の独立性の問題は、古くて新しい。  アメリカにおいて、会計職業が「量的」に一大発展を遂げた1920年代の中頃、アメリカ会計士協会(AIA、1957年にAICPA と名称変更)の機関紙 The Journal of Accountancy の編集長 A.P. Richardson は、次のように指摘した。
 「会計士業界には二つの考え方がある。“エキセントリック(eccentric)派”と“コンセントリック(concentric)派”である。エキセントリック派は、アグレッスィブで顧客の要求があればそれが会計職業に関係あるとなしにかかわらず、まだ試みたことのない新しい領域にも進出する構えである。コンセントリック派は、人は自分の仕事に専念すべきだ(“Let the cobbler stick to his last.”−『靴屋は靴型から離れさせるな』)をモットーにしている。」
 エキセントリック派のリーダーは Arthur Andersenである。彼は、次のように主張する。「過去10年間において、ビジネスマンは、税の還付や節税、原価加算利益契約、資本調達等に関する会計士のアドバイスを高く評価している。会計士は今や企業経営に対する新しいサービスを提供するあらゆるチャンスをつかむことができる。経営者に対するアドバイザーあるいはコンサルタントとしての機能を果すことにより、企業全体を把握することができ、監査活動を有利に進めることができる。会計士は自らの視野の広さと産業界へのより大なるサービスを提供することによって繁栄し、ビジネス界における立場を強固にすることができるのである。」  
 一方、コンセントリック派の代表は、Price Waterhouse & Co. の G.O. May であった。彼は、次のように言う。「会計士業界の活動を絶えず拡大することを助長するような現在の風潮は多くの危険で充満している。」  
 そして、エキセントリック派の勝利を決定付けたかのごとくMASは拡大していった。特に第2次大戦中、公認会計士のコンサルタントとしての技能は高く評価され、戦後も、ビジネス・コンサルタントとして大いに需要された。さらに、1960年代にはコンピュータの普及とともに経営情報システムや会計情報システムの設計に係るMASは急激に増加したのである。
 
 1. アーサー・アンダーセン の大躍進
 法定監査が実行される1年前の1932年6月号の Fortune は「公認会計士」を特集し、ニューヨーク証券取引所上場会社全1,056社のうち職業会計士監査を自主的に採用している会社が701社(66%)であることを明らかにした。そして、これらの701社のうち492社、70%は、“ビッグ8”によって監査されていたのである(表1)。言い換えれば、アメリカ監査業界は法定監査以前にすでにビッグ8によって支配されていたのである。
       
 
 1913年創立で「後発」の Arthur Andersen & Co. はやっと顔を出している程度であり、トップのPrice Waterhouse & Co. からは大きく水を空けられていたのである。 その Arthur Andersen が50年後、コンサルティング・サービスを背景に全米トップの地位を奪取するのである (表2「1983年度報酬」、New York Times, 1984.10.3 )。     
 
 
 さらに、1995年度においては、Arthur Andersen & Co. は第 2 位以下を大きく引き離す。そして、注目すべきは業務内容である。MASが他の5大法人に比べダントツに多いのである(表3、The Accountant, April 1997, p.13.)。
 
 
2 対会計士訴訟
 1985年11月19日の Wall Street Journal は、「職業会計士の悪夢」という見出しで、以下のように1980年以来ビッグ8が訴訟を解決するために支払った和解金を明らかにした(表4)。   
 
 
 
 5年間の合計額とはいえ、 Arthur Andersen & Co. が支払った1億3,700万ドルという数値は驚異的である。他の大手監査法人に比し「けた違い」だ。“アグレシィブ”なアーサー・アンダーセンが容易にイメージできる。
 
3 アーサー・アンダーセンの倒産
 2001年12月、総合エネルギー会社エンロン(2000年度売上高1,000億ドル、約12兆円、全米第7位)が不透明な簿外取引等が原因で倒産、資産規模で見るとアメリカにおいて過去最大であった。同社の監査人はアーサー・アンダーセン。エンロンは、2000年度5,200万ドル(約67億円)の報酬−監査報酬2,500万ドル (約32億円)、コンサルティング報酬2,700万ドル(約35億円)を支払っていた。監査報酬に加えてコンサルティング報酬が巨額であり、また、エンロンはアンダーセンにとっては二番目に大きな被監査会社であったので、監査を甘くしたのでないかと疑われた。
  エンロンの経営者は禁固刑に処せられ、監査資料を破棄し有罪評決を受けたアーサー・アンダーセン(当時のアメリカの上場会社約2,300社を監査)は、2002年、解体した。
 
4 私見

  コンピュータの導入を背景する経営情報システムの開発等、コンサルティング・サービスが拡大する中で、1973年10月30日の Wall Street Journal は、次のように主張した。 「1960年代、アメリカの会計プロフェッションはアイデンティティの混乱に直面した。会計は専門職業(プロフェッション)か 産業(インダストリー)か? 会計職業の主たる関心事は、利用者のためにあるのか、それとも会計職業自身の収益や利益にあるのか。」  
 アーサー・アンダーセンは、「会計産業」のリーダーを目指し、そして、そのポジションを得た。しかし、公認会計士が監査証明の独占権を付与されているのは、公認会計士が“プロフェッショナル”であり、業界が“プロフェッション”だからである。監査証明業務を「産業」として行ってはならない。
(拙著『アメリカ監査論−−マルチディメンショナル・アプローチ&リスク・アプローチ』中央経済社、をお読みいただければ幸いです。)