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「会計不正に係る判決と課題」 |
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山口利昭 |
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1 司法と会計・監査(この異質なるもの) | |
最近、監査法人(公認会計士)が法的責任を問われ、裁判上でも敗訴(一部敗訴)するケースが増えている。また裁判上で「公正ナル会計慣行」の中身が争点となるケースも出てきている。(行政との関わりではあるが)過年度決算訂正を要するような会計不正事件において、後日組織された社外調査委員会報告書において、「当時の会計処理は誤りであった」と指摘され、担当会計士が行政処分の対象となるケースもみられる。
「会計監査と司法判断」について、今後いろいろな論点が考えられるところであるが、私は今後の重要な課題として、会計との関係では「公正なる会計慣行とは何か」、そして監査との関係では「法的監査の目的論およびリスク・アプローチの考え方」ではないかと思う。本日はとりわけ監査と司法判断との課題について述べてみたい。 私は「非常勤社外監査役の理論と実務」(2007年 商事法務 共著)を日本公認会計士協会近畿会の会員の方々と共同執筆し、また社外調査委員会の作業を公認会計士の方々と共同で行う経験のなかで、それぞれに認識しがたい「壁」のようなものがあることを感じている。例えば、法律家にとって会計の世界でわかりにくいものの代表が「相対的真実の原則(証憑による合理的な心証形成)」や「重要性の原則」であり、また「リスク・アプローチ」の考え方である。いっぽう会計専門職の方々にとって法律の世界でわかりにくいものの代表が「絶対的真実主義(証拠による過去の真実発見の擬制)」や「裁判の当事者主義」であり、また「善管注意義務(≒過失、不注意)」といった概念であると拝察する。弁護士にとって極めて基本的なことなのに(体にしみついた概念なのに)会計士の方々にわかってもらえないもどかしさを痛感することがあるが、そうであるならば法律家も、実は会計士にとっては極めて基本的なことが理解できていないのではなかろうか。ということは、現状のままで、たとえば会計士の法的責任が問われるような裁判が増えた場合、「なぜ会計士の責任が問われるのか?」十分に認識できないことから、「後だしジャンケン」で法的責任を負わされてしまうおそれはないのだろうか、また今後のリーガルリスクへの対応が予見できない事態となるのではないか。 |
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2 会計監査人の法的責任を認めた裁判事例の検討 | |
法律家と会計士の間で、判決内容について共通認識を持つことが難しそうな事例をふたつあげたい。ひとつは、再生債務者管財人から「監査見逃し責任」を問われ、大阪地裁において監査法人側が一部敗訴したナナボシ事件判決である。(平成20年4月18日判決、なお本事件は大阪高裁において和解が成立している)このナナボシ判決の論理は概ね以下のとおりである。つまり、法定監査に関与する会計監査人は「善管注意義務」を負っているが、それは会計監査人として、職業専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行うこと、とされている。そして善管注意義務と監査基準との関係については、当時の「通常実施すべき監査手続」にしたがって監査業務を履行することである、とされる。そして平成10年3月期以降の「通常実施すべき監査手続」とは、かつてのように必要な監査手続をすべて実施しなければならないというわけではなく、リスク・アプローチが妥当したと認められ、リスクの高いところに監査資源を集中させて、合理的な監査意見を形成することが求められるようになった、とされる。つまりリスク・アプローチと善管注意義務との融合が認められるに至ったのである。しかしながら、リスク・アプローチの考え方は本来、法律家にはなじみにくい。 たとえば、このリスク・アプローチと善管注意義務との融合について、裁判所は以下のように理解している。ひとつは会計監査の目的論との関係である。会計監査の目的は一次的には会社の財務諸表が適法かつ適正に作成されているかを審査することにあり、粉飾発見等は副次的な目的である、しかし不正のおそれも視野に入れて慎重な監査を行うべきであることは、平成3年の監査基準改正にのりリスク・アプローチが導入されたことにより、より強く監査人の職務として要請されるようになった、とする。つまりリスク・アプローチの観点からは、不正発見目的での監査のあり方を一歩進めることに寄与しているものといえる。そしてもうひとつが「認定された事実について、リスク・アプローチを用いてどのように会計士の法的責任に結び付けるか」という問題である。裁判所は「ナナボシ社は業界全体が不況で、経営状態が悪化し、株価維持の必要に迫られていた、という固有のリスクがあり、また代表者がワンマン社長であったという内部統制上のリスクも相当程度高かったことから、ナナボシ社が架空売上を計上するなどして粉飾決算を実行するという監査上の危険性は相当に高かったことになるので、被告(監査法人)としては、リスク・アプローチに則り、ナナボシ社が業績をよくみせるために虚偽記載を行う監査上の危険性を高めに設定する必要があったといえる」と説明している。 果たしてこのリスク・アプローチに関する考え方を監査に携わる会計士はあたりまえのこととして受容できるだろうか?そもそもリスク・アプローチの考え方には、法定監査における職業専門家としての合理的な保証のレベルを維持することを念頭に置きつつ、(監査報酬等との関係で)限られた物的、人的資源をどのように有効活用すべきか、という視点が必要ではないのか。単に固有リスク、統制リスクを基礎付ける事情から、法律上の善管注意義務のレベルが上がる、とみることに疑問は生じないのか。 もうひとつの事例は東北文化学園事件判決である。(平成21年4月13日 仙台地裁)これは平成9年当時の「寄付金収入に関する会計処理及び監査上の取扱についてT」を一般に公正妥当と認められる監査基準と認めたうえで、流動資産の監査手続 について監査人の過失を認め、担当監査法人が7億 8000万円を仙台市に返還せよ、と命じた判決である。(現在控訴中)会計の世界にセンセーショナルな話題となったが、会計士の方々とこの話をしていると、会計士と法律家では視点が異なることに気づく。会計専門家は、監査手続上の問題点に関心が向き、その重大なミスを理解し、自分ならやらないだろう、と安心する。しかし法律専門家は、まず「なぜ監査法人が補助金として大学に交付された金額のほぼ全額について監査法人の責任となるのだろうか」という点に関心を寄せる。いわゆる監査法人の不注意と損害との「因果関係」に関する論点であるが、そこを子細に検討すると、裁判官の「監査人としての予見可能性への厳格な姿勢」と「監査における不正発見目的の強調」が読み取れる。この判断過程からは、会計士のミスの重大性にかかわりなく、法律上の過失と認定されてしまえば、高額の損害賠償債務を負担しなければならないリスクがあることに気づく。このあたりは、今後法律家と会計士との間で、リーガルリスクを認識するための共同研究などが必要とされるのではないだろうか? |
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3 法律家からの提言(後だしジャンケン的な責任負担からの解放を目指して) | |
会計的発想を十分に法律家が理解できないとすれば、まず会計の世界から司法に向けて十分な理解を求める努力が必要である。しかしこれにも限界がある以上は、医療過誤訴訟における司法判断の特徴や、弁護過誤訴訟と会計監査責任訴訟との比較などを通じて、会計の世界にも専門領域があり、その専門領域における判断については会計専門家の判断を尊重するような体制を構築することを検討する必要があろう。 一例としては、医療事故調査会や鉄道事故調査会のように原因追求、再発防止策を目的とした調査と、刑事・民事等法的責任追及を目的とした調査との区別が必要ではないか、またたとえ刑事・民事等法的責任追及を目的とした調査であっても、その事実認定や法的判断の過程において会計調査委員会(会計専門家によって構成される)を設置すべきではないか。(たとえば公正な会計慣行は本件では何を指すのか?会計監査におけるリスク・アプローチとは何か等) また、会計士に対する「不正への関与」や「不正見逃し」を防止するためのエンフォースメントをどのように構築すべきか、検討する必要があるのではないか。たとえばハードロー中心(金融商品取引法や公認会計士法によるペナルティ、刑事・民事の法的責任追及に頼るべきか)で考えるのか、それともソフトロー中心(公認会計士協会の自主ルール、投資家による監査法人に対する評価、第三者機関や監査役によるコントロール等に頼るべきか)で考えるのか。弁護士会による懲戒のあり方(かなり厳格な運用)が会計士の世界でも期待できる土壌が形成されていくのであれば、ソフトロー中心によるエンフォースメントを中心に考えることも可能ではなかろうか。今後の議論の進展に期待したい。 |