プレイバック会計本

 二つの会計観〜飯野利夫「財務会計論」

(会報部)

 
1.飯野利夫「財務会計論」には馴染めなかった。同じく名著とされる新井清光先生の教科書は大好きなのに。これがこちら側の理解力不足によることはずっと後になって分かった。決して食わず嫌いだった訳ではない。受験時代からよく読んだ。でもわからない。わからないから嫌いになり、そうなると「坊主憎けりゃ袈裟まで」ではないけれど、各章初めに書かれた「本章を始める前に、また読んだ後に」といった記述が高圧的な教師口調に思え、腹が立つようになった。それが大きく変わったのは、仕事の必要に迫られて会計を勉強することになり、それをきっかけに岩田巖「利潤計算原理」を読んでからである。
 
2.飯野先生はともかく、岩田巖先生の名前や経歴については今の若い人は殆ど知るまい。明治38年生まれ、一橋大学商学部教授、東京大学経済学部講師を歴任され、昭和30年49歳の若さで逝去。最晩年の論稿を集めたものが昭和31年に刊行された「利潤計算原理」であり、その後書きは飯野教授が書かれている。つまり、太田哲三、岩田巖、森田哲弥、番場嘉一郎、飯野利夫、中村忠と連なる東京商大・一橋会計学の大先達なのである。この岩田先生の代表作であり古典的(?)な名著である「利潤計算原理」が、未だに版を重ねていることは実に驚くべきことだと思う。
 
3.「利潤計算原理」には次のような記述がある。
「収益費用計算と給付消費計算とは、ひとしく損益法の利潤計算であるにしても、根本的な考え方において大きな隔りがある。前者は貨幣の収支計算から転化した伝統的な商人的利潤計算であり、貨幣を計算対象としているのである。表面上財貨動態を追跡捕捉するにしても、つねに財貨のなかに貨幣を見、財貨は貨幣の変形物と観ずるのである。これに反して、後者は財貨の価値の流れを追求する経営経済的な利潤計算である。その計算対象は貨幣ではなくて、財貨それ自体であり、物量計算に基礎をおく利潤計算である。というよりはむしろ正しく「成果計算」なのである。」(岩田巖「利潤計算原理」同文館(1956)133頁)
 岩田先生が「動態論にしたところで、全然異なる型のものがあるように思われる。これをいずれかへ押込もうとすることは、どうも無理なようである」(「利潤計算原理」後書き参照)とおっしゃるのは、おそらくこのあたりを意識してのことだろうが、要は動態論の中にも2つの会計観があるということだ。この点は井上良二教授がより詳細に論じておられる。
 
「この会計目的(分配可能利益の計算)の下では、その認識・測定対象は、企業活動であるが、会計責任の観点と結び付けた場合、この企業活動を経営資金の循環過程としてみるべきであった。この経営資金は、当初、貨幣の形態で企業に投入されてくるものであり、それを元手として企業活動を行うため、貨幣資本ということもある。この意味において、企業活動は、経営資金あるいは貨幣資本の形態変化として捉らえられるのであった。したがって、この観点でいえば、企業活動は、貨幣の形態変化、言い換えれば、「貨幣の流れ」を意味するのである。この「貨幣の流れ」を貨幣運動あるいは貨幣動態という。これに対して、企業活動を経済財(財貨および用役)の費用によって新たに別個の価値をもつ経済財を産出する過程として捉らえる考え方がある。これは、明らかに、企業活動を財の消滅と発生の過程とみる見方であり、「財の流れ」を企業活動とみようとするものである。この「財の流れ」を財貨運動あるいは財貨動態という。そもそも、財を取得した場合、その財の価値について二つの側面があることに注意しなければならない。第1は、その財の取得のために投下された貨幣価値量を意味する価値、すなわち貨幣的側面の価値(以下、貨幣的価値という)とその財が財としてもっている有用性を意味する価値、すなわち効用的価値量を意味する価値、すなわち効用的側面の価値(以下、効用的価値という)とである。貨幣動態とは、貨幣的価値の増減変化を跡づけることを意味し、財貨動態は、効用的価値の増減変化を跡づけることを意味するものといわなければならない。」(井上良二「財務会計論」新世社(1995)54〜55頁)」
 
4.飯野利夫先生の「財務会計論」に開眼したのは、同書が基本的には「貨幣動態」に立ちながら、ある箇所では「財貨動態」によった説明を行い、かつ、著者自身の立場を明らかにしていないことに気づいてからである。悪く言うと「いいとこ取り」をしているともいえるのだ。私は専門家でないからよくわからないが、岩田先生が言うように、「いずれかへ押込もうとすることは、どうも無理」なのかも知れない。ただ、この点を何の説明もなしに、行ったり来たりのスタンスで記述するから、私のような素人には何が何だかわからなかったのだろう。要するに初学者にとっては実に不親切な本であり、上級者にとっては味わい深い名著なのである。では具体的に「財務会計論」の記述を見ていこう。
 
5.企業活動をG→W→G’の貨幣の循環過程と見るか、財・用益がもつ経済価値の増殖過程と見るかは、貨幣動態と財貨動態の基本的な企業観の相違だが、「財務会計論」は次のように記述しており、前者の立場に立つものと考えられる。
「企業は、資本主または株主からの出資や金融機関からの借入れ等によって、業務を遂行するために必要な貨幣を獲得する。このような貨幣は営業のために用いられて利益を得ることが期待されているので、経営資本とよばれる。このように、資本(自己資本)および負債(他人資本)として企業内に流入した貨幣は、利益獲得という役割を負わされて、資本循環による一連の経済活動を始める。例えば、工企業の場合には、機械、運搬具その他の設備を購入し、原材料を仕入れ、工員、職員等従業員を雇い、その労働力に対して賃金・給料を支払い、さらに電力・ガス・水道等の外部役務を購入して製造活動を営み、それらを結合して製品を造る。そしてその製品を販売して、投下資本に企業努力の結晶である利益が加わった額の貨幣または貨幣等価物を回収するように努める。この場合投下資本に利益を加えて回収される貨幣等が収益とよばれ、またそのために犠牲にされた投下資本が費用とよばれる。このようにして得られた貨幣等の一部は利益分配に、また他の一部は借入金の返済に充てられ、そして残余の部分は、ふたたび新たな財貨・役務等を購入するため内部で待機させられる。企業はこのような活動を繰り返して行なう。」(第2章第2節)
 
 損益計算の意義についても、「経営資金の利用から生ずる資本増殖分の利益」の計算であり、しかも、上述のとおり経営資本を「貨幣」と考えているのだから、先生の基本スタンスが貨幣動態であることがわかる。
「今日の財務会計における損益計算の主な目的は、企業における経営資金の利用から生ずる資本増殖分としての利益を計算・確定することである。」(第3章第7節)
 
 貸借対照表項目についても、次のように資金の循環とされる。
「ここに企業の財政状態というのは、企業が営
業活動を行うために利用される資金の調達源泉とそれが現実に運用されている状態をいう。すなわち、自己資本および他人資本として調達された資金が企業内に投下されて、商業の場合には、現金→商品→受取手形・売掛金→現金、工業の場合には、現金→{機械材料労働}→仕掛品→製品→受取手形・売掛金→現金などのように循環しているが、ある一定時点において使用されている資金の調達源泉とその循環過程中における状態が財政状態とよばれる。」(第1章第3節)
 
 繰延資産には換金性や売却価値はないから、その理論的根拠を「貨幣」で説明することは困難で、将来発現する経済価値としての資産性、即ち、価値の増殖過程のなかでの資産性として説明するのが通例だ。しかし、「財務会計論」の本文では、企業会計原則注解を引用するのみで、理論的根拠には全く触れない。しかも冒頭「本章を始める前に」には「政策的な色彩」と書かれており、やはり「財貨動態」はお好きでないのだなと納得させられる。
「今日、繰延資産について行われている会計処理は、会計理論によるよりも、実定法である商法を中心とした政策的な色彩が濃いものであるといっても過言ではありません。」(第8章)
 
 6.ところが、収益の認識基準としての実現主義や費用の認識基準としての対応原則に関しては、典型的な「財貨動態」による説明をされているのだ。
「今日の財務会計においては、原則として、財貨または役務の提供などによってまず期間収益を確定し、次に費用として認識されたもののなかから、収益を獲得するのに要したものを選び出し、それを収益に対応する費用として収益から差引いて期間損益を計算する方法が採られる。したがって、財貨または役務などの費消によって費用として認識されたものの中から、財貨または役務の提供などの事実に基づいて、認識された収益に関連のあるものを選び出し、これを特定の期間の費用として認識し、確定した期間収益から差引くことが必要になる。いい換えれば、結果である収益に対して、原因である費用、すなわち収益に関連をもつ費用を選び出すという作業が必要になってくる。ここに関連があるというのは、売上高と売上原価というように、因果関係の明確なものだけではなく、支払利息のように、それに直接関連のある収益を明確にすることはできないが、期間を媒体として、間接的に期間収益に関連があると解されるものも含まれる。このように、期間収益に関連をもつ期間費用のことを収益に対応する費用といい、収益と費用とが関連をもつことを費用収益の対応という。そして、期間損益は収益とそれに対応する費用とによって計算すべきことを要請する原則を費用収益対応の原則という。この計算原則は、今日の財務会計において、期間損益を計算する場合の基本的なものである。」(第11章第6節)
 
 減価償却については、「貨幣動態」だと「固定資産に投下されている資本を固定資産利用から得られる収益によって回収するために各期に原価配分する手続」となるところだが、「財務会計論」は「効用価値の費消分を対応させる手続」と捉えており「財貨動態」的な説明となっている。
「有形固定資産の多くは、役務を長期間にわたって提供しながら、時の経過・使用などのために徐々に、その本体および機能を消耗していく。したがって、そのような資産を取得するために要した額を、取得した会計期間またはそれを除却した会計期間だけの費用とするのは合理的でない。すなわち、そのようなものについての費用は、それを使用することによって獲得された収益に対応する費用として、そのような資産が使用できる各期間に配分されなければならない。」(第7章第1節)
 
 引当金は、「貨幣動態」で説明するのは難しい論点で、通常は「財」の立場から「費用収益対応」か、もしくは「原因発生主義」で説明される。「財務会計論」は、次の記述に引き続いて企業会計原則注解18の四要件を掲げるのみで、引当金の設定根拠についての説明は「収益に対応させるべき費用」の一言で終わっている。
「期間損益を適正に計算するためには、収益に対応させるべき費用であれば、それがまだ具体的に現実化していなくても、その発生を見積もって計上しなければならない。」(第9章第4節)
 引当金や繰延資産の根拠を詳細に説明しないのは、やはり「財務会計論」の基本スタンスが「貨幣」にあるからではないかと私は思っている。
 
7.久しぶりに目を通してみたが、「財務会計論」はやはり難しい本だと思う。だが、ある程度わかった人にとっては、会計観の違いを巧く使い分ける工夫が読み取れて、大変おもしろい。これが、入門書であるとともにベテランにも「名著」と評され、超ロングセラーを続けている秘訣ではないだろうか。会計を学ぶだけの教科書ではなく、特定の主義主張に固執しないことの大切さを教えてくれているようにも感じるこの頃である(引用は飯野利夫、「財務会計論(三訂版)」、同文館出版による)。