私は、適正概念が中心にあり、適法概念は、その外囲にあると考えている。これは、企業にとっても、人間個人にとっても、同じ事が言えると思われる。企業について、図式すれば、ざっと右の図のようになる。
適正は、企業会計であれば、企業を写しだす鏡であり、当然その中には、その企業の文化や信念があるいは信条が反映される事になる。その写し出される資産・負債は、いわゆるFair・Value(時価)に近くならなくてはならない。当然ながら、最終的に株主に分配される金額に近い評価になると思われる。
私の中にあるのは、しかしながら動態論に基づいて作成された財務報告書での時価会計を指している。
法人税法上適法だと言って適正であるわけがなく、適正だからと言って、各法律上、各々適法であるわけではない。しかし、いずれにしても適正概念ありきであり、適正概念が先行するのである。
以前の個別財務諸表時代の事で申し訳ないが、子会社への本社土地の売却で利益を捻出した決算が適正か否かで議論された事がある。
私は、この取引が粉飾だとは思っていない。即ち、子会社への売却の意思が不純(会計士は、不純と考えているが、当事者は不純と思っていないであろう)か否かで適正を議論する事は無理である。あくまで、その売却代金が、正しい評価(時価、回収可能金額)で計上されるが否かが問題なのである。
借金だらけの子会社や、全額借入して設立した新会社への売却などは、売却自体の行為を、認めないと言う事はできないが、その借入に、保証がついていたり、不良債権化するようなものなら、債権の評価で議論すればよいのである。
人間個人にとっても同じだと言ったが、これは、アダム・スミスの「商人の徳性」を適正と、置き換えてもらってもよいと思う。
皆様方の御意見を聞かせてもらえば、幸いです。 |