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リレー随筆 第4回 |
『もうひとつ別の考え方に出会う方法』 |
北川ワタル |
私は監査法人に勤務する一方で、美術大学の通信教育課程にも在籍しています。通信教育課程といっても正規の大学ですから卒業までには最短で4年。仕事のかたわら課題をこなし、年間平均20日程度のスクーリングにも出席しなければならないため、現在2年次に在籍している私にとっては、まず3、4年次の専門課程に進級することがひとつの関門かも知れません。 |
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一口に美術大学といっても学科やコースには様々なものがあります。もっともポピュラーな油彩や日本画に始まり、工業デザイン系、空間デザイン系、学術色の強い研究系など。私はその中でコミュニケーションデザインというコースを志望しています。文字や画像等を用いたマルチメディア表現を学ぶコースです。私は印象派の絵画や優美な日本画も好きなのですが、一番興味を引かれるのは現代アートです。作風でいうなら、美術館に便器(注)を展示したマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887−1968)のようなコンセプチュアル・アート。普段は監査という既定のフレームワークが存在する仕事をしているためか、ときには思考からそのようなフレームワークを取り除くことが心地よく感じます。もともと何かおもしろいことを考えるのが好きなだけなのかも知れません。今回はそういった私にとってのおもしろいことを紹介させていただきたいと思います。 |
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これは美大に入学するより前の話になりますが、白いホーローのバケツで本を制作したときの話です。バケツで本を制作するといってもピンと来ないと思いますが、要は、バケツに印字して本を作ってみようと思い立ったのです。題名は『もうひとつ別の考え方に出会う方法』。本文は「この本を部屋に飾り、ときおり眺めるように」という1行だけです。本がバケツでできていること自体にメッセージ性があるというコンセプト。この「本」を作ってみようと思ったきっかけは、本は紙でできているというフレームワークを取り除いてみようという軽い思い付きです。さっそく、なるべくおしゃれなホーローのバケツを調達してきて、そこに文字を印字していくことにしました。しかし、これを本だと主張したところで一人よがりに過ぎません。そこで、私はこの本にISBNコードと書籍バーコードを付けることを思い付きました。とはいうもののISBNコードや書籍バーコードは出版社でないと発行することができません。そして、こんなくだらないことに付き合ってくれる出版社もないでしょうから、自分で出版社を作ることにしました。(社)日本書籍出版協会に出版者登録の申請をしてペーパーカンパニーならぬペーパー出版社を設立。これでISBNコードを発行できるようになりました。バーコード業者にISBNコードとそれに対応する書籍バーコードを発注。それらをバケツに転写しました。めっきり本らしくなったバケツではありましたが、何か物足りないと感じた私はこの本を国立国会図書館に納本し、永代にわたって所蔵してもらおうと思い至りました。国立国会図書館には納本制度というものがあります。日本で出版された書籍は原則として納本制度の対象となります。私は「本」を片手に国立国会図書館の関西館へと足を運びました。受付の女性は戸惑いながらも親切に対応してくれました。その後、男性の担当職員さんにバトンタッチ。担当職員さんも少し困惑した様子でしたが、本部で判断してもらうということで、関西館では預かりという形になりました。さて、バケツ本の運命やいかに。それから1、2週間が過ぎたある日、自宅に戻ると本は宅急便で返還されていました。どうやら国立国会図書館の見解ではバケツは本ではないようです。なんとなく予想はついていましたが…。
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このようなくだらないことをしては楽しんでいます。私の頭の中にはこういった企画がいくつか存在します。たとえば、生きたイカの透き通った体表面の液晶に生体刺激を与えて画像を映し出すことができたらおもしろいのではないかとか、携帯電話の動画撮影機能だけで映画を撮ったらおもしろいのではないか、など。今後も美大では表現の幅を拡げつつ、また、出会った人たちに刺激を受けながら、何かを創造していきたいと思います。そのときにはまたこの誌上でお付き合いいただければ幸いです。 |
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(注)デュシャンによるレディ・メイド(ready-made)シリーズの代表作。レディ・メイドは大量生産された既製品に美術的意味合いを見出そうとした一連のオブジェ作品。 |