松田先生の投稿に応えて |
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澤田 眞史 |
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1.はじめに | |
私自身、松田先生の投稿を幾度も慎重に読み返しました。そこでは、幾多の主張や指摘がありますので、まずポイントの整理を試みます。 @まず、松田先生が批判の対象とされたいくつかの私の発言があります。この中には、谷口衆議院議員や増田本部副会長の発言を私の発言と混同されている部分もありますが、基本的に私も同意見であり、これらについては私の考え方を後述したいと思います。 A次に、昨年9月協会本部が刊行した綱紀関係事例集に関連して、日本熱学事件、アイペック事件、さらに平成15年1月16日の「鉄道業における工事負担金等の圧縮記帳処理 に係る監査上の取扱い」が裁判所の判断に影響を与え、(松田先生の判断では)誤った判決が下った事実が登載されていないと批判されています。 Bさらに、「近年英国及び米国における財務諸表の監査証明とは、財務諸表が不正誤謬を含まず財産状態と経営成績を適正に表示する旨の職業会計人の意見表明である。企業会計原則あるいは監査基準の準拠はその手段に過ぎず、不正、誤謬を発見しえなかったときは監査人はその責任を免れ得ないとするものである。」と記述されています。そして、政連ニュースでの私の発言あるいは近畿会が大阪弁護士会との共同で平成17年12月7日に開催した「社外取締役・社外監査役シンポジュウム」において、弁護士及びCPAによりコーポレートガバナンスの趣旨、目的、現実の運用あるいはSarbanes-Oxley Actの内容と目的につき何ら討議されていないことは、近年の先進国の監査の目的について根本的変革がなされていることの理解の欠如を示すものである、と批判されています。 Cそして、最後に日本コッパース事件あるいはこのような司法の迷走をもって、澤田氏は「我々の監査意見は裁判でしか覆えられない意見である」と主張されるのか、その真意を確認したいものである、と言われ、この投稿は先輩CPAの一員として後輩の指導を目的としたものである、と結ばれています。 この投稿では、私だけではなく近畿会や日本公認会計士協会(以下「協会」という。)本部の姿勢に対す批判も含まれています。したがって、私がこの投稿に対して意見を述 べることがいいのかは若干躊躇するところがあります。ただ、松田先生は私にとって、以前ご指導をいただいたこともある既知の近畿会の大先輩であり、私の会務活動に対して、「気を付けろよ。」と注意喚起してくださったものと思い、私の協会会務に対する姿勢も含め、私の思うところを述べることにします。 |
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2.指摘された私の発言の意味するところ | |
先生が批判の対象とされたいくつかの私の発言について、その意味するところを述べたいと思います。 | |
(1) | 「監査の現場では監査実施責任者が責任をもって監査している。」という発言について |
先生は私の発言として指摘されているのですが、きっと「監査の現場では、本来は監査実施責任者と審査担当者がアグリーすれば監査意見が決まります。」という発言を捉えられたものと思います。ここで私が主張したのは、個別の監査証明に対する第一義的な責任について、監査実施責任者が当然のこととして負わなければならないということです。しかし、一般社会からは第一次審査だけではなく、第二次審査、さらに上級審査と、審査を重ねれば重ねるほどレベルの高い監査になると考えられている節があります。そんなことをしたら、責任はたらいまわしにされ、本当の責任の所在は不明となりますし、また、とても実務的な対応はできなくなります。だからといって、外部者に対する責任が監査実施責任者だけにあり、監査法人にはないなどとは一言も言っていません。監査契約は監査法人名で行っているわけですから、当然のこととして監査法人がまず責任を負うことは当然です。 | |
(2) | 「日本公認会計士協会も自主規制機関としてチェックを行っているにもかかわらず、公認会計士・監査審査会がこれをレビューする仕組みを作るということは、屋上屋を架けるようなものですよ。」という発言について |
まず、この発言は私の発言ではなく、谷口衆議院議員のものです。しかし、私自身の精神的スタンスは谷口議員と同様なもので、そうあってほしいと思っています。ただ、わが国を含めた先進国において、会計不祥事が後を絶たず、全世界的に監査人に対する監視の方向性が、公認会計士間における自主的監視から、行政による公的監視の方向に舵を切っており、これは抗しがたい圧力となっています。その結果、わが国では公認会計士審査会が公認会計士・監査審査会に衣替えし、協会が実施する監査事務所の品質管理レビューをモニタリングする制度が平成15年改正の公認会計士法により導入されました。私はこの制度を受け入れた上で、自主規制機関である協会が品質管理レビューの実効性を高め、その足らざるところを公認会計士・監査審査会が補完するという現行の方式が、米国におけるPCAOBによる直接監視方式よりも、わが国では実態に即しており、合理的な方式であると考えています。すなわち、わが国において米国と同様な直接監視方式を採用しようとしても、会計・監査の実務経験者を相当数、しかもマーケットバリューで採用する必要がありますが、在野におけるそのような会計人の社会的拡がりはありません。しかも、直接監視方式は監査人のプロ意識の成長を阻害する圧力として働くと考えるからです。 | |
(3) | 「我々の監査意見は裁判でしか覆されないような意見なのです。」及び「裁判で負けたら、我々は無限連帯責任を負っていますから私財をなげうっても対処しなければなりません。」という私の発言について |
財務諸表の適正性の判断は、監査人の監査報告書により表明されます。そして、この判断は行政を含め誰にも検閲を受けることのない、最終的な判断であり、その適否を争うには裁判に訴えるほかありません。これは監査事務所の品質管理に対して公的な監視制度が導入されたとしても変わることはありません。協会の品質管理レビューや公認会計士・監査審査会の検査により、個別の監査意見が再審査されるわけではありません。もしそうだとすれば、監査人が表明する監査意見は仮のもので、再審査が必要となり、そこで確定した監査意見に対する責任は再審査機関が持つことになり、公認会計士監査制度の崩壊を意味します。 だからこそ、監査証明業務は会計プロフェションである公認会計士の資格独占業務とされているのです。その結果、監査意見に問題があり、裁判に負けるようなことになれば、当然のこととして、監査人が責任を負うことになります。そして、現行の監査法人制度ではその社員は無限連帯責任を負っていますから、法人財産で損害賠償できない場合には、私財を投げ打ってでも弁済しなければならないことになります。 |
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(4) | 「事件に関係していない会計士に及ぶこの仕組みは、世界にも例のない話なんですよ。」という発言について |
この発言は私の発言ではなく、増田副会長の発言ですが、私も同様の認識を持っています。現行の監査法人制度における社員の無限連帯責任制度は、大規模監査法人の実態に照らせば、あまりにも過酷な制度であり、現実的にも監査法人の社員になることを敬遠する傾向があります。諸外国においては、株式会社、有限責任会社、有限責任事業組合、無限責任事業組合など、さまざまな法的事業形態を、会計ファームが選択することができることになっています。そのような意味で、わが国の場合のように社員の無限連帯責任による監査法人しか選択肢のない状況は、世界にも例を見ません。我々は現状の改革を求め、諸外国と同レベルの環境整備を求めているのです。 | |
(5) | 「監査法人に対する懲戒処分あるいは多額の損害賠償請求はなすべきではない。」という発言について |
松田先生は澤田の発言として取り上げられているのですが、そのような発言をした記憶はありません。きっと、監査法人の刑事罰に関連した「今回もそうした制度があって、刑事罰の訴訟ということになっていたら、中央青山さんは完全に崩壊に追い込まれますよ。」という発言を、そのような意味に受け取られたものと思います。 監査法人に対する刑事罰は、その告発段階で長期間の監査業務の中で培われてきた監査法人の信用が失墜し、被監査会社や優秀な会計士が離散し、事実上監査法人を自然崩壊へ追い込むことになります。現実に外国でもその例が見られ、仮に後日無罪となったとしてもその回復は困難であり、社会からの退場を余儀なくされました。このようになると、当事者の監査法人だけではなく、広く善意の第三者にも大きな影響を与えることになります。私の発言の裏には、以上のようなことから、監査法人に対するペナルティは、刑事責任はできるだけ避け、行政責任及び民事責任を追及する方向で行うべきであるという思いがあります。 |
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3.先生の批判の趣旨を受け止める | |
私自身、上記1のポイントの整理及びこの投稿が後輩の指導を目的としたものであるということから、先生の批判の趣旨を以下のようなものであろうと受け止めました。 澤田は、「監査の現場では監査実施責任者が責任をもって監査している。」というが、協会の刊行した綱紀関係事例集を見れば、とてもそのようには判断できない。しかも、その事例集には重要と思われる事案が記載されていない。澤田だけでなく、近畿会も、協会本部も財務諸表監査の目的が根本的な変革を遂げているという理解が欠けており、司法の会計・監査に関する判断能力のなさをよいことに、職業会計人としての社会的責任を果たすという姿勢が希薄ではないか、というものと推察します。 先生が指摘されるように、綱紀関係事例集にはとても会計プロフェションの行為として、認められるようなものではないのではという事例も見受けられます。また、「独立監査人としては、単に形式的に一般に認められた監査手続に準拠しようとするのみでは不十分」という先生の指摘が当てはまるような事例も見受けられます。さらに、従前は協会の姿勢が会員に対して甘いと指摘されても仕方がない事案もあったと思いますし、また、問題事案の結果の概要の公表にも及び腰であった側面も否定できません。しかし、ここ数年間、このような反省を踏まえて、現在では外部者をその構成員に入れた綱紀審査会を設置するとともに、そこでの結果の概要も公表することにしています。先生が批判される綱紀関係事例集の刊行にもやっとこぎつけました。 きっと、先生からはまどろっこしいとお叱りを受けるかもしれませんが、協会は確実に一歩一歩、社会の負託に応えるための努力をしています。しかし、我々を取り巻く環境の変化は速く、エクスペクテーションギャップがなかなか埋めきれないということも事実ではないかと思っています。特に、現在、協会の品質管理レビュー、それを受けた公認会計士・監査審査会の検査により、監査事務所の品質管理体制が不十分だと指摘され、社会からの厳しい批判の眼にさらされています。協会本部は、この事実を真正面から受け止め、会員の指導・監督体制の整備を加速させています。しかし、一般会員のうちには環境の変化に疎く、協会の対応は大監査法人に向いており、中小監査法人や独立公認会計士を監査の現場から追いやるのかという批判も聞かれます。しかし、事態は待ったなしのところまで来ており、一般会員の理解を得、協会の自主規律機能を高めなければなりません。このとき、協会本部が旗を振るだけではとても一般会員の皆様までその意思は届かず、地域会の貢献に期待せざるを得ない状況です。ぜひ、今後とも地域会活動も含め協会活動にご協力・ご指導のほどお願い致します。 なお、上記1のBとCについては、必ずしも適切な返答ができませんでしたが、以上の記述から意を汲んでご理解いただくようお願い致します。 |
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4.おわりに | |
以前は、近畿CPAニュースの紙面上で、さまざまな主義主張が披露され、戦わせられました、何か懐かしい感じがしています。現在では、監査法人勤務の若手会計士は日々の多忙さに抹殺され、とても自分を振り返る時間がないという状況にあると聞きます。そして、協会活動も本部一極集中になり、地域会の存在が希薄な状況になりつつあるようです。しかし、我々の公認会計士制度を良くするも悪くするも我々自身であり、とても外部の者が我々が望むような制度設計はしてくれません。また、協会本部の方向性を一定の責任をもって、チェックし、サポートできる地域会は近畿会しかないのかもしれません。私自身、日本公認会計士協会のここ数年の方向性は、明らかに業界団体の利益擁護より、自主規律の強化を図り、公共の利益を求めて活動してきたものと思っています。 ぜひ近畿会の会員の皆様には、協会活動に興味を持ってもらいたいと願っています。そのような意味で、松田先生の投稿には感謝を致します。 |