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監査の原点

松田 安正

 当近畿会の元会長で、現在日本公認会計士協会の副会長である澤田眞史君は10月1日付政連ニュースの「監査の本質と法改正」において、監査の現場では監査実施責任者が責任をもって監査している。また、「日本公認会計士協会も自主規制機関としてチェックを行っているにもかかわらず、公認会計士・監査審査会がさらにこれをレビューするしくみを作るということは、屋上屋を架ける」ものであると主張され、さらには今回のカネボウ事件で監査法人を刑事罰に問えなかったとする証券取引等監視委員会の金融庁に対する建議書につき、「我々の監査意見は裁判でしか覆されないような意見なのです」「裁判で負けたら、我々は無限連帯責任を負っていますから私財をなげうっても対処しなければなりません」として、監査法人の損害賠償義務あるいは罰金支払義務につき「事件に関係していない会計士に及ぶこの仕組みは、世界にも例のない話なんですよ」と主張されている。しかし、このような主張は世界の現状を知らない誤見である。もし制度が不当であるとすれば立法段階の意見陳述とすることは格別、既に証券取引法等の改正が実施されている現状では、日本公認会計士協会(以下協会本部と略称)もまた監査の目的と会計基準、監査基準の意義等につき理解を欠如していることを示すものである。
 本年9月協会本部より綱紀関係事例集が刊行され、昭和47年3月から最近までの42例(一部重複)の公認会計士法に基づく大蔵省の懲戒処分と協会の自主的懲戒処分が記載されている。しかしこの間の日本熱学事件の公認会計士および栗田工業の公認会計士(兼弁護士)に対する刑事処分の事例が公表されていない。また、松山治幸君が近畿CPAニュース10月号に「中央青山監査法人の業務停止について」で言及されている平成4年の店頭市場のアイペック事件の公認会計士および監査役等の処分の事例も記載されていない(同社はその後破産し、違法配当がなされたとして代表取締役等は商法・証券取引法違反で起訴され、また破産管財人は元役員7人に対して役員賞与および違法配当金の損害賠償訴訟を提起している(商事法務1994年10月15日号64頁参照)。しかし、アイペックの監査役中には検察官の最高地位を退職した弁護士の神谷尚男氏がいたが、同氏がいか程の金額を賠償したか、あるいは弁護士会から懲戒処分を受けたかは全く不明である)。澤田君は監査法人に対する懲戒処分あるいは多額の損害賠償請求をなすべきではないとされるが、米国においては1992年頃の金融機関(S&L)の破綻に際しResolution Trust Corporation(整理回収機構)が金融機関の役員と弁護士、監査人らに対し371百万ドルの損害賠償請求を行ない、このうち約150百万ドルはLincoln Savings & Loan社から、また約130百万ドルはErnst & Young会計事務所から和解により回収したと報告されている(The Business Lawyer 1502 vol48. 1993 注12)。英国でも1996年に監査人に対し1億ポンドの損害賠償の判決がなされ、53百万ポンドで和解している(Gower's “Principles of Modern Company Law" 1997 6th.ed. P556)。これに対しわが国では同時期の住専各社の破綻とこれによる多数の金融機関の公的資金注入による救済に際し、役員および監査人はどの程度の損害賠償をしたのであろうか。澤田氏は「我々の監査意見は裁判でしか覆されないような意見である」と主張される。わが国の裁判所は遺憾ながら旧大蔵省あるいは協会本部等の企業会計基準の歪曲を正当化し、株主の代表訴訟等を殆どすべて棄却している。澤田氏および協会本部はこの司法の迷走を肯定されるのであろうか。例えば任意監査における日本コッパース事件の控訴審判決(東京高判平成7年9月28日判時1552号128頁)は協会本部が全力を挙げて監査人を支援し、裁判所が監査契約上の債務不履行責任を否定したことはその好例である。また協会本部が平成12年7月6日発表した「販売用不動産の強制評価減の要否の判断に関する監査上の取扱い」(時価が取得価格の50%以上下落した時に評価減をすれば足りる)および平成15年6月16日の「鉄道事業における工事負担金等の圧縮記帳処理に係る監査上の取扱い」(鉄道事業会計規則も工事負担金収入を圧縮記帳することを認めている)により、鉄道事業各社の粉飾決算を容認したが、裁判所もこれらはいずれも公正な会計慣行であるとして、鉄道事業各社の粉飾決算を容認している(弥永教授は「コメンタール商法施行規則 改訂版」でともに違法とされている)。
 財務諸表の目的は、国際会計基準の序文(Preface)の14に記載のとおり、その内容が真実かつ公正な表示(true and fair view)であり、これにより経営者は自己の受託責任(stewardship)と報告責任(accountability)を明らかにするものである。株主はこれにより「株式を保有もしくは売却しまたは経営者を再任もしくは更迭するかの判断をする」ものである。このように財務諸表が真実かつ公正な表示をしていること、すなわち、経営者の不正、誤謬による不実表示がなされていないことを職業監査人が保証することが監査証明の本来の目的であり、「正規の簿記の原則」、「一般に公正妥当と認められる会計原則あるいは監査基準」等とはこの目的のための手段に過ぎない。
 財務諸表の真実性と監査人(監査役)の監査証明については、英国会社法に起原を有し、かつその後の法律改正においても脈々として引き継がれている。その起原は1720年の有名な南海泡沫会社事件により、株式会社組織が禁止され(出資者保護のため)、その後1865年に漸く株式有限責任を認めた株式会社法が成立し、ついで1900年の改正により監査役監査を強制的としたものとされている。しかし監査役の責任については1895年のロンドン銀行事件は違法配当につき違法な行為(misfeasance)としての責任を認めたが、1896年のキングストーン・コットン・ミル事件は過失(negligence)責任につき極めて寛大であった。有名な「監査役は番犬(watch-dog)であれば足り警察犬(blood round)であることを要しない」のとおり監査役は取締役を信頼すればその責任を問われることはないとして、不良資産に対する損失の引当不足あるいは資産の恣意的な評価益からの蛸配当の責任も看過している。なお、これらの事件は殆どが会社がその後破産した事件であり、清算人(主として会計士)より取締役および監査役に対する損害賠償請求がなされ、事後的(hindsight)に粉飾決算が明らかにされた例である。この故に1875年にQuain判事は“破産事件のすべては会計士と称する無知な人種に委ねられ、法律に導入された最大の悪弊である”(The whole affairs in bankruptcy have been handed over to an ignorant set of men called accountants, which was one of greatest abuses ever introduced into law)と嘆かせたものである。
 米国では会社法上に監査役は存在せず、監査人の責任問題は主として英国の先例に做っている。これらの判例は近畿会のスタディー・グループが翻訳し、協会本部が昭和48年11月に刊行した公認会計士職業責任関係資料第2集「公認会計士と損害賠償責任」の中に掲載されているSaul Levyの“Legal Responsibility and Civil Liability”のとおりである。この米国の判決で著名なウルトラメーヤー事件は、私見によれば法律的には重大な誤りを犯していると考えられる。すなわち、本件の第1回の裁判の陪審員は監査人の監査上の過失を認定して187,576.32ドルの損害額を、また第2回の裁判の陪審員は同様に203,058.97ドルの損害額を評決しているにもかかわらず、裁判官は陪審員のこの評決を破棄し、控訴審の裁判官であるカルドーゾー判事も監査人の責任は当事者関係のない第三者に対しては、過失責任(negligence)は存在せず不法行為(fraud)の責任しか存在しないと判断していることである。しかし、監査人Touche, Niven会計事務所は32通の監査証明書を発行している(この概要はJames Don Edwards, “History of Public Accounting in the United States" University of Alabama Press. 1978 P142参照)。米国においては連邦憲法第1修正により訴額20ドル以上の民事(mocomn law)裁判には陪審裁判が保障されている。したがって、陪審員の評決を裁判官の個人的見解で簡単に覆せるかどうかの重大な問題があろう。このような一般社会の批判(expectation gap)から英国においては監査役の資格を勅許(Charter)により団体権を認められた勅許会計士協会の加入者(Chartered Accountant)を原則とし、会社法上に会計基準を明確にするとともに(例えば現行1985年会社法の第4附表)、会社法の監督機関である通商産業省(Board of Tradeカラ現在Board of Trade and Industry)の監督を厳格化し、併せて上場会社に対しては証券取引所もまた上場会社に対する監督を強化している。これに対し米国では会社法上に年次財務諸表の作成あるいは監査役監査がないことから、1929年の大不況を契機として1933年証券法および1934年証券取引所法等の法律が制定され、登録有価証券発行会社の財務諸表についての独立監査人の監査と証券取引委員会(SEC)の監督規制が法定された。しかし、米国においては依然として粉飾決算が続いていたにもかかわらずSECは監査法人に対し刑事罰をもって臨むことはなく、指導的状態に終始していた。その好例は1970年代に発生したペン・セントラル鉄道会社ほか3社の粉飾決算についてのPMMという大監査法人に対する行政罰についても、監査法人の過去の監査手続の不備を自ら公表させ今後の内部統制の整備を契約させることにより、新規顧客の獲得を6ヶ月間停止させる程度の処分にとどめた模様である(1975年7月2日会計連続通牒173号)。またその余の監査法人の粉飾決算に対する行政罰としての業務停止処分も会計連続通牒において明らかにされているが、いずれも短期間である。このようなSECの態度が批判されたのが1969年のコンチネンタル事件であり、本件ではコンチネンタル社の社長のほかライブランド会計事務所のパートナー2人とマネージャー1人が刑事訴追を受けている。その詳細は上記職業責任特別委員会の第2輯に譲るが、被告側証人およびAICPAの法廷助言者としての主張等にかかわらず財務諸表の虚偽記載の共謀罪として陪審員の評決がなされロスは懲役18ヶ月(実際は6ヶ月服役後3ヶ年保護観察付仮釈放)と7,000ドルの罰金刑が課され、3名の会計士は総額17,000ドルの罰金刑が課されている由である(ロスは有罪を認め、他の会計士に対する訴訟につき政府側証人となったため、その処罰が寛大であった由である)。なお、別にコンチネンタル社の更生管財人よりライブランド会計事務所に対する民事訴訟が提起され、約210万ドルで和解した由である。
 以上のとおり財務諸表の監査証明とは、財務諸表が不正誤謬を含まず財産状態と経営成績を適正に表示している旨の職業会計人の意見の表明であり、企業会計原則あるいは監査基準の準拠はその手段に過ぎず、重大な不正、誤謬を発見しえなかったときは、監査人はその責任を免れ得ないとするのが近時の解釈である。この点は米国の1975年私的証券訴訟改正法において明確にされたにもかかわらず、その後Enron, Global Crossing, Kmart, Tyco, Dynergy, World-Com, Elan, Xerox, General Electric, Omnicom, Merck, Adelphia, Qwest等の巨大企業の粉飾決算が露呈したため、遂に2002年にサーベイン・オクスレー法が制定され、監査の強化が図られるとともに、従前依頼者との交渉につき秘密特権を付与されていた弁護士にすらもGate-keeperの任務を課されるに至ったものである。澤田氏の上記発言あるいは近畿会が大阪弁護士会との共催で平成17年12月7日に開催した「社外取締役・社外監査役シンポジウム」において、弁護士およびCPAよりコーポレートガバナンスの趣旨、目的、現実の運用あるいはサーベイン・オクスレー法の内容と目的につき何らの討議がなされていないこと等は、わが国では遺憾ながら、先進国において監査の目的につき原点復帰的変革がなされていることの理解が欠如していることを示すものである。以上のような司法の迷走をもって、澤田氏は「我々の監査意見は裁判でしか覆えられない意見である」と主張されるのか、その真意を確認したいものである。文中失礼な意見もあるが、先輩CPAの一員として後輩の指導を目的としたものであることをご海容いただきたい。
追記
(1)澤田君はLLPあるいはLLCにより監査法人の責任限度が減縮されるかの如く解されている。しかし最高限度額(CAP)が認められない限り、責任が減縮されるものではない。澤田君の真意は、違法行為者の責任につき他の社員も個人として無限連帯責任を負うことの問題であると解されるが、この弁済責任は監査法人の財産をもって完済できない場合の第二次的責任である。したがって、監査法人の財産を充実し、あるいは十分の賠償責任保険に加入すればその恐れはない筈である。なお、LLPについてはJournal of Accountancy 2005年9月号を参照されたい。
(2)LLPアーサー・アンダーセンに対する刑事事件は、陪審員の評決が数日間容易に一致しなかったが、結局有罪の評決がなされた。しかし連邦最高裁が2005年5月これを破棄したため、現在再審理がなされている。なお、司法妨害罪による刑事訴追は会計事務所だけでなく、最近法律事務所に対してもなされている(ABA Journal 2006年12月号)。その帰趨が注目される。
(3)サーベイン・オクスレー法の趣旨は必ずしも財務諸表の作成と監査に多大の労力と費用負担を課すことを目的としたものではなく、経営者と監査人の協力により適正な財務諸表が作成されることを求めるものであるとするJournal of Accountancy 2005年1月号のSECの見解も参照されたい。なお、監査人の費用、労力の負担の増加はわが国では委員会型取締役会制度を採用し、監査役会を廃止すれば足りるとの私見を述べて置く。
(4)エンロン事件の真相は、新経営陣によるPower's Reportよりも米国議会における調査報告書(2002年7月8日刊)を一読されたい。このような米国議会の詳細な審議もあって60日間の短期間にサーベイン・オクスレー法が成立したものである(AICPAはこの期間を超音速的(supersonic)であると批難するが、わが国会社法の衆議院における審議時間は僅か35時間である)。