副会長退任あいさつ |
前副会長 小川 泰彦 |
![]() その一つは、部長・委員長の側面サポートです。私の場合、会報部(市田龍部長)、広報部(和田頼知部長)、事業部(川端茂樹部長)、情報システム部(玉置栄一部長)であったのですが、4部長ともに部・委員長としてはベテランであったことから、会務運営などで私の出る幕はありませんでした。その中で唯一お手伝いができたのは、広報部でありました。西田会長の重点施策の一つに「公認会計士の広報活動」が掲げられていましたし、また、私自身も以前に広報部長をした経験もありましたことから、和田広報部長とともに「マスメディアによる公認会計士への露出度向上」を目指し、記者発表の方法を工夫しました。従来は、部・委員会の成果物が完成した後で記者発表をしていましたが、多くの新聞記者から「いくらすばらしい成果物であったとしても、こんなタイミングでは遅すぎて、ニュースバリューがない。」との指摘がありました。それを踏まえて、記者発表は、部・委員会が成果物の作成に着手した段階のものを中心に扱い、原則、月一回のペースで実施しました。そして、記者発表した内容に対してマスメディアの方が興味を示せば、順次完成までフォローしていくというように改めました。昨今における公認会計士に対する注目度の高まりも大きな要因であったとは思いますが、記者発表の変更が「マスメディアによる公認会計士への露出度向上」に大きく貢献したものと密かに自負しております。 二つ目は、会長の代理で他の専門職業団体の総会等の出席です。それまでの専門職業団体との交流は、唯一弁護士会だけでありましたが、あくまでも儀礼的なものでした。この2年間においては、他の専門職業団体との真の意味での交流ができました。佐伯副会長が提案した「バイオサポーター構想」により、弁理士会と弁護士会との交流ができ、さらに、「減損会計」を通じて、不動産鑑定士協会との協力体制ができあがりました。私が不動産鑑定士協会の賀詞交歓会に出向いた折りに、「減損会計に関する実務的な研究」をするための両会による協議会を設置しようと提案したことがきっかけになりました。言うだけで何もしない私に対して、文句も言わずに、きっちりと成果物を完成された東副会長と北山監査会計委員長には本当に感謝をいたしております。 三つ目は、葬儀への参列であります。会長が会務のため、会員・準会員もしくはその親族の葬儀に参列できない場合、副会長が輪番で葬儀に参列しています。人の死は突然訪れますので、当初から葬儀を予定に入れることなどできませ ん。その日の予定を突然に調整しなければならなかったことは大変でしたが、私自身は、葬儀への参列が副会長の仕事の中で一番大きな人生経験をさせていただいたと思っています。ご遺族の方々に対して、このような表現をすることは不謹慎であるかも知れませんが、生まれて初めて弔辞を読ませていただきましたことや、また、一番に代表焼香をさせていただきましたこと、私は副会長の役得だと思っています。 近畿会の役員は、幹事4期(9年)、副会長1期(2年)、合計で11年間努めさせていただきました。自分なりには一生懸命に会務運営をしたつもりですが、力不足もあったかもしれません。そういう意味では会員諸兄にはご迷惑をおかけしたかも知れませんが、友情に免じてお許しください。何はともあれ無事務められましたこと、感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 |