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酉年に因んで、近畿会の会員・準会員から最長齢の方と最若年の方に投稿をお願いしました。(年齢別、50音順に掲載) | |
型に、はめる |
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植 田 肇 |
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![]() そういう眼から見ると、最近の社会の動きは戦前に似て来た感がする。もちろん憲法があるから、戦前と同じということにはならないであろうが、その憲法だって変えようとの動きがあり、油断がならない。 政治の向きは、本書の関わることではないかも知れないが、社会の仕組みは密接に監査人の態度に影響する。いうまでもなく、監査人にとって独立性は最も重要である。その独立性は、言論、集会、結社の自由があってのことである。それが軽く見られているようだ。 例えば、C.P.E.が、上記の自由を侵害していることに、協会の幹部は気がついていないようだ。気がついて居れば、公認会計士法に研修を受ける義務を入れるのを容認するはずがない。監査人が責任を痛感すれば、強制されなくとも、自分で調査研究するはずである。自分で調査研究しないで、協会の研修会におんぶされるということは自立していない証拠である。一人一人は時間を無限に持っているわけではない。C.P.E.に出席を強制されては、自分で調査研究する時間がなくなる。自立しないで協会に頼れというのでは、独立心は損なわれる。そこのところが分かっていないと思う。自分で研究したときは、それを報告すればよいというが、型にはめた報告が大変で、自分で研究するのを阻害する。自分で考えることこそ最も重要で、それを不利にさせるのは、自主性、独立牲の無視である。 戦前、特に軍隊は何もかも型にはめていた。そして今再び、最近やたらと規則が微に入り細を穿ち、型にはめるようになって来た。協会も型にはめたがっている。型に、はめる昔に戻ったようだ。企業経営は型にはまっては競争に敗れるのに、なぜ、企業会計が型にはめ得るのか疑問がある。型にはめるのに熱中すれぱ、監査の仕事が代書屋と同じになる。これでは最も重要な粉飾の発見など後回しになってしまう。会社の不祥事が次から次へと報ぜられるが、その都度、監査人は何をしていたのであろうかと思われる場合がしばしばである。果たして、監査人が認めているから、その財務諸表は信用できると世間が納得するようになるのはいつであろうか。最近の社会の動向、そして公認会計士の行く末はどうも気にかかる。 追記 投稿しようとしていたら、今朝12月10日の読売新聞に、メディア・リンクスの架空取引を監査法人が見逃していた事件が載っていた。やはりC.P.E.は効果を上げていない。そしてその副作用の独立性の喪失が目立つ。 |